見えるカラダと、見えないカラダ―Part1 (行輝)2009/10/26 11:47

最近、
今までなんとなく考えていたこと、感じていたこと、行ってきたことに、
「なんとなく」ではなく「じっくり」と取り組んでいきたい
と思うようになってきました。
取り組むというのは、一つ一つのことを、
体にじっくりと沁み込むように理解させていく、
というイメージでしょうか。
「これは大切」と思うことは、非常に意識的に、
体に、そして、心にも流したいと思っています。
ただ単に、頭で分かったような気になっていたり、
なにげなく意識していたりしてきたものを、
頭や意識から、体の細胞の隅々にまでいきわたらせるような形にしたいと思っています。


そのカラダ(体)の話ですが、
私の好きな詩の一つに、金子みすずさんの「星とタンポポ」という詩があります。

青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星はめにみえぬ
    見えぬけれどもあるんだよ
    見えぬものでもあるんだよ

ちってすがれたたんぽぽの
かわらのすきに、だァまって
春のくるまでかくれてる
つよいその根はめにみえぬ
  見えぬけれどもあるんだよ
  見えぬものでもあるんだよ

「見えるもの」と「見えないもの」の区別、また、境域はどこにあるのでしょうか。
はっきり目に見えるものだけを確実なもとするのは当然ですが、見えるものの奥にかくれている見えない本質や別の側面を見ることも大切と思います。

カラダ(体)の、目に見える部分だけでなく、
見えない体を意識してみることも、
体の謎を解く一つの鍵となる
と思っています。

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