娘がやってきた2020/07/01 10:21

もうだめだ!

と思った日から、一週間。

無事に

母の介護を続けています。

 

その後、

痛みで眠れないような夜は一度もなく、

けっこう楽しくやっています。

 

 

でも昨日は、

娘が、

夜の介助のために泊まりに来てくれました。

 

「大丈夫だよ。かなりハッピーにやってるよ」

と言うのに、

「そんなに、絶望したり多幸感に浸ったりしてたら、疲れるよ」

なんて言います。

 

親を何と思っているのでしょう。

 

以前から、どこか、

私の保護者みたいな雰囲気を醸し出す子です。

前世は親子が逆だったのかもしれません。

 

 

娘は、小学校の先生をしています。

特別な支援で何校かをまわっているので

ちょっと時間が不規則ならしく、

この日なら、

朝の一時間だけ休暇を取れば

授業に間に合う、

と言うのです。

 

住んでいるのは東京の反対側の端なので、

かなり遠いのですが、

朝早く出て直接行けばいいからと、

止めても聞きません。

 

 頑固なところは、祖母譲りです。

 

 

…とか何とか言いながら、

本当は、私も嬉しいのです。

 

 

夕飯が終わった後にやってきて、

残り物をパクパク食べながら、

「頻尿」だとか

「過活動膀胱」だとか、

食事中にどうかと思うような話を

さんざんして、

今後について相談しました。

 

夫は、

せっかくなのに、仕事の取材で帰りが遅くなり、

娘と会えるかどうか微妙です。

お気の毒。

 

 

そうして娘は、一晩

母の部屋で寝てくれて、

軽やかに手を振り、

朝早くに出勤(登校?)していきました。

 

 このまま仕事だなんて。

 

元気そうではありましたが、

あとで疲れが出ないか心配です。

 

でも。

そんな心配は、余計なのかもしれません。

 

 

有難く、頂戴したよ…

 

 

まとっている空気の軽やかさに、

若いっていいなぁ…

と思いました。





奥沢先生にSOS2020/07/02 10:20

さて。

妹と娘との三者会談で、

決まったことがあります。

 

奥沢にある漢方薬局、

「奥沢回生堂」の先生にご相談することです。

 

 

横浜に住んでいたころ

一家をあげて

ずーっとお世話になっていた薬局です。

 

娘を身ごもって以来ですから、

もう30年以上。

 

妊娠中、産院で検査の数値が悪く、

危険な浮腫があると言われた時も、

帰りにまっすぐ奥沢へ行き、

お薬をいただいて、あっという間に解決しました。

 

 

「古法」という、昔ながらの方式で

丁寧に問診をして、

舌の色をみたり、お腹などを触ったりし、

最終的には、脈を細かく診て

煎じるお薬を出してくれます。

 

遠くなってからは

なかなか行けずにいました。

 

きちんと診察するのが基本なので、

何年かぶりにいきなり「お薬を送ってください」

なんてお願いしても、

「診ないとわかりませんねぇ」と

出していただけないかもしれません。

 

 でも、

 体質はよくご存じだし

 もしかしたら

 

 ダメもとで、

 電話してみました。

 「藁をもすがる思い」とはこのことです。

 

 すると。

 

「舌の色はどうですか?手足は冷たいですか?」

などといろいろ訊いて下さり、

「わかりました。~★*湯を試してみましょう」

 

初めて聞くお薬でした。

名前がややこしくて、聞き取れませんでしたが、

そんなの問題ありません。

 

よかった…

 

天の助け、とはこのことです。

 

一般に、漢方薬は

じわじわ時間をかけて治すもの

というイメージがありますが、

そんなことはありません。

 

ぴったり当たると

即効でとても効きます。

 

 

当たりますように!

 

 

…なんて言ったら、

占いみたいで

先生に叱られるでしょうか。






『私は誰になっていくの?』『私は私になっていく』2020/07/03 11:58

母に、職員さんと間違えられたりもした去年の秋、

私は、

認知症の当事者さんが書かれた本を

何冊も読みました。

 

以前は、

認知症が進んでいっても

自分では

わからないこともわからないから

平気なのだ、

と思っていましたが、

母を見ていると、

そうではなさそうだったのです。

 

自分が、いろんなことを

理解できなくなっていっていることを

ちゃんと感じていて

とても不安に思っている様子でした。


それは、今もあります。

 

  

もし自分だったら、

と考えてみました。

 

私はもともと天邪鬼ですから

どんなことも、

他人(ひと)の言うとおりになんか

したくありません。

 

なんでも、自分で判断して

自分で選んでいきたいのです。

 

 

それなのに、

その、自分の判断力が

信じられなくなってしまったら…


ちょっと想像しただけでも

ぞっとします。

  

足元から、すべてが崩れていくような…

 

 

いったいどんな風に壊れていくのか、

どんなふうに、

何が残っていくのか

少しでも、

理解したい…

と思ったのです。

 

 

まず読んだのは、

クリスティーン・ボーデンさんの

『私は誰になっていくの?』でした。

おそらく世界で最初の、

認知症の当事者によって書かれた本です。

 

この方は若年性ですし、

一口に認知症といっても

いろいろありますから、

母の場合とは少し違うのですが、

とても勉強になりました。

 

 

まず、

認知症というのは、

もともとの頭の良し悪しに関係なく、

どんなに人並外れて優秀な方でも

発症することがあるのだ

ということ、

 

心がけが悪かったり、

頭を使っていないから

ぼんやりしていく

なんていうものでは全くない、

ということ。

 

 

これは病気なのだ、ということ。

身体の他の部位が病気になるのと、

同じことなのに、

場所が頭だっただけで、

人間扱いされなくなるのはおかしい

ということ。

 

 

できなくなることは、いろいろあるけれど、

進行の度合いによっては、

できることもけっこうある。

そしてその、できることは、

もともとの職能や経験、

持っている能力によって、

普通の人より

優れている場合だってある、

ということも。

 

 

一冊目の冒頭では、彼女の

離婚についても書かれているのですが、

とても驚き、

素晴らしいと思ったのは、

クリスティーンさんが、

一冊目が書かれてから

二冊目が書かれるまでの間に、

再婚していらしたことです。

 

だから、二冊目ではお名前が

クリスティーン・ブライデンさんに

なっています。

 

 

認知症でありながら、

パートナーがほしいと

紹介所に登録する

クリスティーンさんの

諦めない姿勢も

自分ならとてもできないと思ったし、

 

紹介されて出会い、

認知症のこともすべてわかったうえで、

パートナーとして、

最期まで寄り添う覚悟をする、

ポールさんの素晴らしさ。

 


人間って…

 

人生って…

 

 

 

実は、この本を読んだとき、

私はまだ、

いまほど、

母のことが好きではありませんでした。

 

一緒に暮らし始めたころは、

反抗期のしっぽをまだ引きずっていて、

本当は、

母に近寄りたくありませんでした。

 

それが、何年もかけて

少しずつ取れていき、

このころにはずいぶん

大丈夫にはなっていたものの、

まだ、今みたいな感じではなかったのです。

 

 

それが大きく変わっていくのに、

この時期に読んだ本たちが

影響していると思います。

 

 

何冊もあるので、

順番にご紹介していこうと思っています。


クリスティーン・ブライデン著『私は私になっていく』表紙


佐藤雅彦著 『認知症になった私が伝えたいこと』2020/07/07 16:19

辛かった時に読んで、

助けになった本のご紹介、

2回目です。

 

今日ご紹介するのは、

佐藤雅彦さん著

『認知症になった私が伝えたいこと』

です。

 

この本もやはり、

若年性認知症を発症した方の

書かれたものです。

著者が日本人なので、より身近に感じました。

 

クリスティーンさんと同様に、

並外れた知性をお持ちの方です。

 

そしてやはり

クリスティーンさんと同様に、

頭を病んでいるからと言って、

人間扱いされなくなるのはおかしい、と

おっしゃっています。

 

全く、その通りだと思います。

 

これはちょっとずれるのかもしれませんが、

 

以前はよく、

老人介護にかかわる方々が

お年寄りに向かって

「〇〇しようね~」などと

子どもに話しかけるようにしゃべっているのを

見かけました。

 

テレビの人気司会者にも、

そういう方がいらしたと思います。

 

 失礼な話だ

と、いつも思っていました。

 

 お年寄りは、

身体は動きにくくなっていられるかもしれないし、

人によっては、

認知力が低下していらっしゃる場合も

あるかもしれない。

 

だからといって、

人生の先輩に向かって

若輩者が、

相手を見下したような言葉遣いをするのって

どんなものでしょう。

 

それは、

親しみの表現

などではありません。

 

 

いつだったか、

包括支援センターの方にそういう話をしたら、

いまは、

そういうことにも気を付けるように指導している、

とおっしゃっていました。

どうりで、

最近は減ってきた感じがしていました。

 

 

あ、話がずれました。

本の感想に戻ります。

 

 

この本を読んでとても印象的だったのは、

佐藤さんが、

一人暮らしを続けるため、

ご自分で、

さまざまな工夫をしていらっしゃることです。

 

忘れることを防ぐため、

そして、

忘れたときにも

困らないように、

いくつものステップで、

トラブル回避の工夫をされているのです。

 

 

著者の佐藤雅彦さんは、

NHK教育テレビの人気番組、

「ピタゴラスイッチ」などを生み出した方なのだ、と

聞いたことがありました。

 

実際は、同姓同名の別の方のようなのですが、

 

それを聞いたときは、

さもありなん

と思いました。

 

ボールが転がっていってこの板を押すと、

板が落ちてこの棒を押し、

その棒が次のボールを押して…

という具合に

次から次へと

目の覚めるような面白い展開があって

ことが進んでいく、

あの感じ。

 

発想が自由で、

おとなもこどもも

一緒にワクワクできる、

大好きな番組でしたが、

 

この本の著者である

佐藤雅彦さんの

日々の暮らしの工夫が、

まさにあの感じだったのです。

 

どちらも理系の方ですから、

共通するものがあったのでしょう。

 

ユーモアに満ちた、本物の知性。

 

あったかくって、

人間っていいなぁ

と思わせてくれるような

血の通った科学です。

 

 

 

大切なのは、

ただトラブルなくやっていくことじゃない。

 

生きている実感を持てる瞬間、

そう思える機会を作ること。

 

たとえば、

好きな音楽を聴くことであったり、

道端の美しい花を見ることであったり、

讃美歌の合唱の練習に通うことであったり。

 

佐藤さんは、

そのためにも

さまざまに工夫をされています。

 

 

 

「生きがい」なんて、

思っているほど

大きなものではなくて、

 

でもそれは、

ただじっと待っていたら

やってはこない。

 

工夫が、いるのです。

 

・・・・・

 

クリスティーンさんにしても

佐藤さんにしても、

 

素晴らしい方なのに、

認知症になってしまわれた

 

と考えることもできますが、

 

こんなに素晴らしい方だからこそ、

この人間界のうちの、

「認知症部門」を牽引していく担当者として

選ばれたのかもしれない。

 

 

こんな言い方をすると

ご本人は気を悪くされるかもしれないのですが、

 

つい、

そんな風に思ってしまいます。

 

この本を読んだとき、

なんだか霧が晴れたように

明るい気持ちになれたのです。



佐藤雅彦さんのHPはこちらです



 

 





自主学校「遊」の学期末発表会2020/07/20 19:43

昨日は、

自主学校「遊」の

学期末発表会へ行ってきました。

 

 

今回は会場が、

いつもの福祉会館ではなく、

 

クレーシュすみれ」の園舎でした。


 

やわらかくてあたたかくて

落ち着く

素敵な空間で

 

いつもながらの

発表会の和やかさに

ふさわしい容れ物だった感じがしました。

 

 

こどもたちは

それでも

ちょっぴり緊張しながら、

 

やはり、

場の温かさに

 

楽しそうに

発表をしていました。

 

 

火曜日に授業で会ったばかりの

この春2年生に編入した

可愛いやんちゃ坊主が

骨折して腕を吊っていて、

 

あれあれ、

初めての発表会なのに

とびっくりし、

 

笛の発表ができなくて

かわいそうだったりも

しましたが、

 

こどもって、

ケガをしながら

強くなっていくものです。

 

 

 

上級生たちは

発表会を見るたびに

ぐんぐん頼もしくなって、

 

小さかった頃のことを思い出すと、

 

こどもの

成長する力の素晴らしさに

あらためて感動します。

 

 

今回からは英語に加え

新しく始まった

ハングルの時間の発表もあり、

 

微妙な発音の違いを

こどもたちがちゃんとできていて、

素敵でした。

 

日本語が完ぺきな、

ネイティブの先生から教われるなんて

贅沢な話です。

 

 

 

今学期は

発表が終わったとたんに

慌てて帰ってきましたが、

 

去年2年生に編入して、

夏休み前に何日か

週一回つきっきりで過ごした時期のある

 

3年生のやんちゃ坊主が

嬉しそうに手を振って

見送ってくれました。

 

 

彼も、

遊に来て大変身した一人です。

 

 

遊に関わらせてもらうようになって

まだ6年ですが、

もう何人も

遊で大変身を遂げた

…というより、

本来の姿に戻ったこどもたちを

見ています。

 

ここではみんな、

「愛されているこども」に

なれるからです。

 

 

 

帰りの電車で、

 

夜の大切な講座を

欠席しなくてはならないので

録音を頼もうと友人にラインしたら、

 

「いま電車ですか?

すぐ前にいる人から、

メッセージが届いたような」

 

と返事が来て

あわてて顔を上げたら

本人がいました。

 

ちょっぴりですが

リアルで会えてよかった。

 

 

 

と、いう具合で、

 

なんだか不思議な、

とっても幸せな日でした。

 

 


この日は、娘が前日から泊まり込み、母を見ていてくれました。

私の帰りを待ちながら、いろんなことをしてくれたようです。

オセロは、デイサービスでもやっているようで、

毎回ルールを説明しなければなりませんが、把握さえすれば、

けっこう互角の戦いをする母です。