新年を迎えて2020/01/03 12:06

あけましておめでとうございます

今年もなにとぞよろしくお願い申し上げます

 

どんな年明けをお迎えでしょうか。

 

お蔭さまで私たちは、

無事に穏やかな新年を迎えることができました。

母の体調もよく、心身ともに落ち着いていて、

のんびりと、いい雰囲気でお正月を過ごしています。

今年も(こどもたちのように)町内を回ってくる獅子舞に頭を噛んでもらいました。

 

 

さて、今年はどんな一年になるのでしょう。

 

母とのゆっくりした日々を過ごすうちに、私は、

華やかに外へ出ていくことはなくても、

穏やかな毎日を積み重ねることの大切さ、その幸せを

以前にもまして強く感じるようになってきました。

 

とはいえ今年も、心躍る予定が入っていますし、

出かけていきたいところもいろいろあります。

なにもかも諦めてしまわなくていいように、

ここぞ、というときに助けてくださる方々の存在が、

しみじみありがたいです。

 

 

あるべきようにありながら、

なるべきようになっていく…

流れに沿って、自然に進んでいければ…と思っています。

 

 

どうか今年が、いい一年でありますように!








         今年も、遊のこどもたちから素敵な年賀状が届きました

母の今年 その2―夏風邪と認知症②2019/12/29 20:31

(前からの続きです)

大きな病気はないということで安心はしましたが、歩くのが不自由なことは変わらず、

夜のトイレに介助が必要だったので、母が起きたらすぐ目が覚めるように隣室に布団を敷いて寝ました。

幸い、杖をやめて歩行器にしたところ、安定感があるせいか歩幅も少し戻って一人で移動できるようになり、夜の介助からは一週間ほどで解放されました。

そのころには風邪も治り、精神的にも落ち着いて、それからは認知力もどんどん回復してきています。

.

でも、今回はそれだけ身体が弱りましたので、体調が悪い時期には、かなりショックなことがありました。

風邪が治ったと思ってはぶりかえす、というのを繰り返していた、8月なかばのことです。

ある日。いつものようにデイサービスから送迎車で帰ってきた母が、「あら、車が行ってしまったわ!」と慌てて、

妙なことをいろいろ言うのでよく聞くと、私をデイサービスの職員だと思っていたのでした。

送迎の車に置いてきぼりにされたと、心配してくれていたようです。

そうではないと説明して、ほっとしたのもつかの間。

夜、お風呂へ入り、部屋へ戻って寝る準備をしていると、

「どうして昼間からお風呂へ入るの? 私はそんなに汚れていたの?」と訊くので、

「もう夜よ。寝る前にはいつもお風呂に入るでしょう」

というと、

「もう寝る時間?それじゃあ私、家に帰らなくちゃ」

というのです。

「ここは家だけど?」というと、

「だって、ここは施設でしょう? 先生のあなたがここにいるんだから」と。

私が、自分は母の娘だというと、母は

「大変なことが起こった」と頭を抱えてしまいました。

「眠いからぼんやりしているんでしょう。ぐっすり眠って朝目が覚めたらすっきりするわよ」というと、

「こんな大変な時に、眠っている場合じゃない」

「こんど目が覚めたらきっと棺桶の中よ」

と、頑張って眠ろうとしません。

おそらく眠るのが怖かったのでしょう。

仕方がないので黙ってそばにいましたが、だんだん座ったままウトウトし始めて、促すと、

「しんどいから、ちょっとゴロンとなろう」

といってベッドに入り、そのまま眠りました。

 

翌朝は普通に戻っていたのですが、風邪がぶり返したようだったので、朝食後、ベッドに横になって休んでいました。お昼になり、昼食を食べようと部屋へ呼びに行くと、

「私はいったい、何に巻きこまれているの?どうしてこんな変なことが起こっているの?」と言いだしました。

何のことかわからず、「風邪でだるいんでしょう。お昼ができたから、手を洗って食べに来て」というと、

いつものように食卓へやってはきましたが、珍しく食事中も難しい顔をしています。お昼を食べ終わるとまた、

「見慣れた顔だから安心はしているけれど、あなたはここの先生でしょう?みんなで私を担いでるのね。本当のことを言って!」と言いだしました。

「本当のことしか言ってません。私はあなたの娘で、ここは家族で住んでいる家です!」というなり、

私はいたたまれずに二階へ上がってしまいました。

あとは夫が取りなしてくれたようで、それきりおかしなことは言わなくなりましたが、その後も言葉遣いなどでときどき、「あ、いまはもしかしたら職員と思っているかも…」ということはあります。

 

 

初めは、いろいろ考えました。

毎日一緒にいるのになぜ…?とか、

私の態度によそよそしいところがあるせいだろうか?

とか。

でもあまりそういうふうには考えない方がよさそうです。

そこにいるのが母にとって娘であろうと職員であろうと、私のすることに違いはありません。

遠くの親戚より近くの他人と言いますが、傍にいるのは、母の言葉に傷ついてイライラしている娘より、

落ち着いているやさしい職員のほうが、

母にとっても居心地がいいでしょう。

娘とわかっても分からなくても、頼りになるやさしい存在でいられればいいのだ…と思いました。

母の思いに寄り添って、自分もできるだけ無理をせずに、いつも機嫌よくしていること。

それが、私の課題…

そう考えれば、以前と何も変わらないのかもしれません。

 

 

・・・と、ここまで書いたのは、実は10月ごろのことでした。(アップせずに放置してしまいました)

 

その頃も、

時々は腹を立てつつもおおむね機嫌よくやっていることに変わりはありませんでした。

でもそこには努力が存在し、

つまりはなにがしかの無理がありました。

あれから2か月。

いまは、腹を立てる回数が激減し、

優しく接することにほとんど何の無理もなくなって、

母と暮らす日々の幸せを、

感じることができるようになりました。

これは私にとって、とても大きな変化でした。

 

次回は、ここに至るまでの話、助けになったものやことについて書こうと思います。

いろいろあると思うので、何回かに分けることになるかもしれません。





母の今年 その2―夏風邪と認知症①2019/12/29 20:08

認知症の母と暮らすようになって、気づくともう10年ほどになります。

症状は、3歩進んで2歩下がる、という感じでじわじわと進んできています。

ぐんと進むのはやはり、病気などで身体が弱った時と生活に変化があった時で、どうなるかと思うほど急激なこともあります。

それでも、健康が回復したり生活習慣を見直したりするとかなり戻り、前よりはちょっと進んだかな、というあたりまで恢復して落ち着く、というのを繰り返しています。

 

夏の暑さもこたえるらしく、

歩くのが難しくなり始めたのは昨年の夏でした。

歩くためには、けっこう複雑な頭からの指令が必要らしいのです。

そして今年の夏。

8月の終わりごろから、風邪が治ったと思ったのにぶり返すのを何度か繰り返していたら、急にがっくりと弱って、歩くのがままならなくなりました。

もともと変形性股関節症は持っているのですが、毎週治療家の方にお世話になって、今は痛みもなく、しっかり体重が載せられるようになっていますし、

3回のデイサービスでもトレーニングをしっかりしてくださるので、器質的には動くはずなのです。

それなのに歩こうとしても足が前に出ず、

前に行こうという意思はあるのでふらふらと揺れるのに

どうしても足が動かなくて、やっとのことで1~2センチ。

一歩ごとにそれを繰り返していると、

普段はさほど遠いとも思わない部屋からトイレまでの距離が、ものすごく長く感じます。

 

そしてある晩。

トイレから戻るとすぐにまた行きたくなるのを繰り返し、

両側から抱えたりおんぶして連れていったりした挙句、

出かける時に使っていた車椅子をよく拭いて家に上げ、

それで往復することにしました。

後半は少し間隔が伸びて1時間半で1回ほどに落ち着きましたが、一晩に、軽く10回以上。

 

翌日、チーム診療をしてくださる大きな病院へ駆けこんで、いろいろ検査していただきました。

心不全でも似たような症状が出ることがあると聞いたので心電図もとっていただき、血液検査はもちろん、泌尿器科系もすべて検査したけれど数値に異常なし。

肺のCTも撮って、もともと肺MAC症を持っているので影はあるけれど、大きな肺炎はおこしていなさそうだということで、念のための抗生剤をいただいて帰ってきました。

 

家を出る時は、このまま入院かもしれないと思いながらだったので、特に大きなトラブルはないという診断は、ほっとした半面、なにやら不思議でもあり。

無事に家へ帰りついたときはしみじみ嬉しく思いました。

                                (つづく)





母の今年 その1―胃潰瘍の顛末ー2019/12/17 20:40

今年、86歳の母は、二度ほど大きな山を越えました。

一番大きかったのは、2月から4月いっぱいにかけてのことです。胃潰瘍をやりました。

何年も前からどうも貧血傾向が治らず、もしかしたらどこかで出血している恐れがある、と言われてはいたのです。でも、程度がひどくないこともあり、胃カメラや内視鏡検査に耐えられるのかが不安で精密検査はせずに来ました。

ところが。

2月に娘(母にとっては唯一の孫)が結婚し、バタバタと独立していきました。しかも夫と私が、5月末に大きな舞台を控え、昨年12月から、しばしば夜に稽古で出かけました。娘がいなくなってからは、妹が仕事から帰るまで、1時間弱ですが母に一人で留守番をしてもらう日が週に34日ほど。

それがストレスだったのでしょうか、2月ごろから腹痛を訴えるようになり、だんだん頻繁になって、程度も強まっていきました。

お通じの具合があまり良くなかったので、てっきりそのせいかと、かかりつけの医院で治療をしばらく受けたあと、大きな専門病院に紹介していただきました。

医院の診療に午前中いっぱいかかったので、紹介先を午後から受信したところ、ご紹介いただいた先生は午前中しか外来の診療がないとのことで、別の先生の診察を受けました。

腹部のCTを撮り、血液検査を受け、言われたのは、CTの画像を見ると胃壁がやや厚くなっているようだが、便秘の理由はわからないので何もできない、と。

詳しく調べるには内視鏡検査などを受ける必要があるが、年齢も年齢だから、精密検査を受けるかどうか家族で考えて、改めて受診してください、とのことで、とりあえずのお薬を処方していただいて帰ってきました。

ところが、家に帰ってそのお薬を見ると、「腸などに閉塞がある場合は絶対に飲まないでください」との注意書きが。ネットで調べると、使い方を誤ると腸が破裂する恐れもあると書かれていました。理由がわからないのだから、閉塞がないとは言い切れないわけで、もしあったら命に係わります。しかも、もともとお腹が痛くて辛いと言っているのに、さらに腸の活動を亢進するお薬など飲んだら、本人の苦痛はどれほどでしょう。

そのお薬は飲まないことにしましたが、紹介された大病院がそれでは、打つ手がありません。

途方に暮れてケアマネさんに相談すると、訪問診療に力を入れている先生のいらっしゃる病院があるとのことで、そちらを受診しました。

その先生は、それまでの経緯をすべて聞いてお通じを柔らかくするお薬を出してくださり、各病院で出された薬を、母の様子をみながら使い分けられるように、詳しく説明してくださいました。

お蔭でお通じはなんとかあって少し楽にはなったものの、腹痛は収まらず。血液検査の結果を聞くと、貧血の進み具合が尋常ではないとのこと。このままでは命に係わるから、先般紹介を受けた大病院で精密検査を受けたほうがいいと強く勧められ、同じ病院でもお医者様が違えば違う診断もあるかもしれないと一縷の望みをかけて、こんどこそ紹介を受けた先生に必ず診ていただけるように日時を選び、くだんの大専門病院を再受診しました。

4月のはじめ、最初の受診から1か月後のことです。

すると。

前の診察時に撮った、同じCTの画像を見てその先生がおっしゃったのは、

「胃のここに、大きな穴があります。すぐに胃カメラを撮ったほうがいい」。土曜日でしたので、即座に2日後の予約を入れてくださいました。

胃カメラと生検の結果は胃潰瘍で、悪いものではなかったので安心しました。でも貧血も進んでしまったし、穴が大きくて満足に物が食べられる状態ではないので輸血が必要かもしれないと言われ、普通なら入院するところだけれど、「入院すると認知症が進んでしまうので自宅で療養し、近くの病院へ通うように」とのご指示をいただいて帰ってきました。かかりつけの医院にうかがうと輸血はできないとのことで、何とか口から食べるように、との指示をいただき、ふつうに家で療養することに。

メニューを工夫し、いただいたお薬をしっかり飲み…

幸い、そこからは驚くほど順調に回復して、一月後、ゴールデンウィークの頃にはすっかり治りました。

 

 

紹介を受けた大病院の先生は、素晴らしい方でした。受付で手紙を渡して認知症のあることをお伝えしてあったのですが、きちんと、母の顔色や肌の様子なども見て診察してくださいましたし、癌の危険性もあることなどの恐ろしい情報は妹と私だけに見せ、ほかのことは、母本人に説明してくださいました。

それにしても。最初の受診から次の受診までの1か月間、母はよく頑張ってくれたものだと思います。私たちも、胃壁が厚いなどと言われたのでスキルス胃がんではないかと心配しましたし、処方されたお薬を素直にそのまま飲んでいたら、最悪中の最悪といってもいい事態が起こったはずです。危ないところでした。

 最初に診ていただいた先生は、その後、そこの大病院からはいらっしゃらなくなりました。いまはどこにいらっしゃるのでしょうか。

 

食養生を始めたころ、思い切って発芽酵素玄米の炊飯器を買いました。いまも母は発芽酵素玄米ご飯が大好きで、食べるたびに「このご飯、美味しい!」と感激します。

「私、食いしん坊なんだけど…とても食べられないわ」と悲しそうな顔をしていたころのことを思うと、毎食「おいしい!」を連発しながらにこにこ食事をしている今が、心底ありがたいです。





とんでも勘違い3―子守唄にチャイコフスキー!?2018/10/20 15:11

先日、カメラマンのS氏にお招きいただいて、

セシオン杉並のチャリティ音楽会に行ってきました。

そこで聴いたチャイコフスキーのピアノ三重奏曲が、

それはそれは素晴らしかったのです。

長いのでなかなか演奏されない曲なのだそうですが、

このまま、いつまでも終わらないでほしいと思ったほど。

帰り道に、ふと思い出しました。

「そういえば、私の子守唄はチャイコフスキーだったんだっけ?」

 

と、いうわけで、今日のテーマは子守唄です。

自分が子どもの頃に遭遇した勘違いのお話の三つめ。

ようやく、初めに書こうとしていた内容に到達しました。

 

 

子守唄って、「お母さんと赤ちゃんとで完全に満たされている世界」を象徴するもののような感じがします。

この世界が、その後の人生のいろんな場面で、しっかりと人を支えてくれる力になる。

大切なものなんですよね。

お母さんは、赤ちゃんにとっては世界の全部といっても過言ではないほど。こどもの方は全身全霊で、文字通り全幅の信頼を寄せているわけですが、お母さん自身の方では、まだまだ若くてあまり経験も積んでいないのですから、

案外、自信のない状態でいたりします。

初めてのこどもであれば、自分自身が生まれて初めての大きな経験だらけの中で、まっさらな命に関わるなんていう責任重大なことをやらなければならないわけです。

当然、その道の大家、専門家のお話に耳を傾け、どうすればいいのかを学ぼうとします。

 

私の母もそうでした。

そして、ある大家のお話に触れました。

その方がおっしゃった言葉は

「お母さんが音痴な子守唄なんかを聞かせるから、

 こどもが音痴に育つのだ」。

自分は音痴だと思いこんでいる母は、

即座に子守唄を唄うことをやめました。

そして、夜、赤ちゃんを寝かしつける時に、

なんとクラシックの名曲を聴かせることにしたのです。

(このトホホなぶっ飛びぶり、他人とは思えません。

 あ、母娘って他人ではないのか…)

 

私のために選んだのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番。

妹の時には、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が選ばれました。

自分のときのことはともかく、妹のときのことは、もう5歳だったのではっきりと覚えています。

瞬間で眠りにつける日はいいのですが、うっかりすると、音楽が流れている間中、早く眠らなければとあせりながら調べに乗って心だけが踊り出し

…とても寝付けませんでした。

小学校に上がってからは、ラフマニノフのピアノコンチェルトもよくかかっていました。これもまたとてもロマンティックで、めちゃくちゃ興奮します。

曲が終わってからも、目が冴えてしばらくは寝付けないのです。

 

そういえば、神経過敏だったなぁ…

身体も弱かったし…

こどものころから体がカチコチだったよなぁ…

などと、

「ひょっとしたら影響しているかもしれないこと」は

いろいろ思いつきますが、

確証はありません。

どの曲も、今も大好きなことだけが救いです。

 

 

と、いうわけで。

「赤ちゃんには、お母さんの子守唄が一番ですよ!」と、

声を大にして言いたいです。