うさぎ一家、集結!2020/02/17 11:22

昨年の11月初めに、アルコ・ムジカの発表会を観ました。

宮沢賢治の「貝の火」を中心に据えた会で、

出演者の一人一人が、

見事に役にはまって輝いていたのが印象的でした。

舞台から流れてくる「オイリュトミーをする喜び」に

共振して深く心を動かされ、

とても幸せな気持ちになりました。

 

アルコ・ムジカは、オイリュトミストの松山由紀さんが

ずっと指導してこられた方々を一つに結集したグループです。松山由紀さんは、私たちがオイリュトミーと出会った時の恩師で、アルコ・ムジカには、その頃一緒にお稽古していた「野のばら」のメンバーも加わっています。

やはりメンバーの一人だった親友が亡くなった時には、

追悼の会に加わらせてもらったこともありました

 

その「貝の火」が、67日に再演されることになったと

由紀先生からご連絡がありました。

ところがメンバーに異動があり、

主人公であるうさぎの子どもホモイの、お父さん役の方が

出られなくなってしまったそうなのです。

それで、代役を頼めないだろうか、と。

劇場で観た、知的で穏やかな優しさを湛え、でも強さも持った「うさぎのお父さん」は、

鮮やかに印象に残っています。

私にできるだろうか? え、「お父さん」? 男役?…

一瞬よぎった不安を、

「あの人たちと一緒にオイリュトミーができる!」という喜びが押し流しました。

由紀先生のもとでオイリュトミーができるのも、20年以上ぶりのことです。

 

1月中に2回、由紀先生から言葉のフォルムを伝えていただき、先日は初めて全員が集まるお稽古で、いろんな人との関係性と、「お父さん」の動く音楽のフォルムとを把握しました。

そして今週末。午後からの全体練習を控え、午前中はうさぎ一家が集まっての特訓です。

息子(!)の「ホモイ」さんからは、音楽の録音を送ってもらうなど既にたくさんサポートして頂いており、

先日の稽古では、妻である(!)「お母さん」の温かいサポートに助けられました。

一家の集結する金曜日が、とても楽しみです。




                   昨年のチラシです

小さな発表会2020/02/07 17:38

来週の火曜日、211日の祝日に、小さな発表会をします。

第一回は去年の15日でした。今年は二回目の開催です。

(いきさつなどは去年のブログに書いています)

 合同発表会ですので、

初めに、ソルフェージュを学んでいる子どもたちの

パフォーマンスや笛の演奏などがあって、去年はとても和やかな幕開けでした。今年も楽しみです。

ライアーを学んでいる方々の演奏には今年も、私たちも7弦でちょっぴり加わらせていただきます。

とっても素敵な、お話の語りとライアーを愉しんだあとは、いよいよオイリュトミーの発表。

音楽は、繊細なライアーの音にふさわしい身体を作ろうとお稽古してきました。

言葉の発表も、

風に揺れる木々の詩にはライアーの伴奏がついて、部屋の中に様々な風が吹きます。

「トゥーレの王」の発表では前と後とに笛とライアーの演奏があって、

遠い昔の王さまの世界へ、すーっと誘われるようです。

今年は他に、私も参加して言葉のトリオをすることになりました。「これはまさに、ライアーのことでしょう!」という、素敵な詩があるのです。

 

最後には、ご夫妻の連弾で私たちもオイリュトミーをします。今年は、ドヴォルザークの「スラヴ舞曲」から最終曲を選びました。

 

 

何を目標にするでもなく、

お稽古をすることそのものを楽しみながら、

積み重ねてきた日々。

発表会をするとなると、ちょっぴり意識が変わります。

そうしてふと客観的に感じてみると、

去年とは全く違っている自分がいたりもします。

その変化を味わいながら、

発表自体を一つの通過点として折りこみながら、

純粋に楽しめたらいいな、と思っています。




                昨年の発表会の様子です

新年を迎えて2020/01/03 12:06

あけましておめでとうございます

今年もなにとぞよろしくお願い申し上げます

 

どんな年明けをお迎えでしょうか。

 

お蔭さまで私たちは、

無事に穏やかな新年を迎えることができました。

母の体調もよく、心身ともに落ち着いていて、

のんびりと、いい雰囲気でお正月を過ごしています。

今年も(こどもたちのように)町内を回ってくる獅子舞に頭を噛んでもらいました。

 

 

さて、今年はどんな一年になるのでしょう。

 

母とのゆっくりした日々を過ごすうちに、私は、

華やかに外へ出ていくことはなくても、

穏やかな毎日を積み重ねることの大切さ、その幸せを

以前にもまして強く感じるようになってきました。

 

とはいえ今年も、心躍る予定が入っていますし、

出かけていきたいところもいろいろあります。

なにもかも諦めてしまわなくていいように、

ここぞ、というときに助けてくださる方々の存在が、

しみじみありがたいです。

 

 

あるべきようにありながら、

なるべきようになっていく…

流れに沿って、自然に進んでいければ…と思っています。

 

 

どうか今年が、いい一年でありますように!








         今年も、遊のこどもたちから素敵な年賀状が届きました

母の今年 その2―夏風邪と認知症②2019/12/29 20:31

(前からの続きです)

大きな病気はないということで安心はしましたが、歩くのが不自由なことは変わらず、

夜のトイレに介助が必要だったので、母が起きたらすぐ目が覚めるように隣室に布団を敷いて寝ました。

幸い、杖をやめて歩行器にしたところ、安定感があるせいか歩幅も少し戻って一人で移動できるようになり、夜の介助からは一週間ほどで解放されました。

そのころには風邪も治り、精神的にも落ち着いて、それからは認知力もどんどん回復してきています。

.

でも、今回はそれだけ身体が弱りましたので、体調が悪い時期には、かなりショックなことがありました。

風邪が治ったと思ってはぶりかえす、というのを繰り返していた、8月なかばのことです。

ある日。いつものようにデイサービスから送迎車で帰ってきた母が、「あら、車が行ってしまったわ!」と慌てて、

妙なことをいろいろ言うのでよく聞くと、私をデイサービスの職員だと思っていたのでした。

送迎の車に置いてきぼりにされたと、心配してくれていたようです。

そうではないと説明して、ほっとしたのもつかの間。

夜、お風呂へ入り、部屋へ戻って寝る準備をしていると、

「どうして昼間からお風呂へ入るの? 私はそんなに汚れていたの?」と訊くので、

「もう夜よ。寝る前にはいつもお風呂に入るでしょう」

というと、

「もう寝る時間?それじゃあ私、家に帰らなくちゃ」

というのです。

「ここは家だけど?」というと、

「だって、ここは施設でしょう? 先生のあなたがここにいるんだから」と。

私が、自分は母の娘だというと、母は

「大変なことが起こった」と頭を抱えてしまいました。

「眠いからぼんやりしているんでしょう。ぐっすり眠って朝目が覚めたらすっきりするわよ」というと、

「こんな大変な時に、眠っている場合じゃない」

「こんど目が覚めたらきっと棺桶の中よ」

と、頑張って眠ろうとしません。

おそらく眠るのが怖かったのでしょう。

仕方がないので黙ってそばにいましたが、だんだん座ったままウトウトし始めて、促すと、

「しんどいから、ちょっとゴロンとなろう」

といってベッドに入り、そのまま眠りました。

 

翌朝は普通に戻っていたのですが、風邪がぶり返したようだったので、朝食後、ベッドに横になって休んでいました。お昼になり、昼食を食べようと部屋へ呼びに行くと、

「私はいったい、何に巻きこまれているの?どうしてこんな変なことが起こっているの?」と言いだしました。

何のことかわからず、「風邪でだるいんでしょう。お昼ができたから、手を洗って食べに来て」というと、

いつものように食卓へやってはきましたが、珍しく食事中も難しい顔をしています。お昼を食べ終わるとまた、

「見慣れた顔だから安心はしているけれど、あなたはここの先生でしょう?みんなで私を担いでるのね。本当のことを言って!」と言いだしました。

「本当のことしか言ってません。私はあなたの娘で、ここは家族で住んでいる家です!」というなり、

私はいたたまれずに二階へ上がってしまいました。

あとは夫が取りなしてくれたようで、それきりおかしなことは言わなくなりましたが、その後も言葉遣いなどでときどき、「あ、いまはもしかしたら職員と思っているかも…」ということはあります。

 

 

初めは、いろいろ考えました。

毎日一緒にいるのになぜ…?とか、

私の態度によそよそしいところがあるせいだろうか?

とか。

でもあまりそういうふうには考えない方がよさそうです。

そこにいるのが母にとって娘であろうと職員であろうと、私のすることに違いはありません。

遠くの親戚より近くの他人と言いますが、傍にいるのは、母の言葉に傷ついてイライラしている娘より、

落ち着いているやさしい職員のほうが、

母にとっても居心地がいいでしょう。

娘とわかっても分からなくても、頼りになるやさしい存在でいられればいいのだ…と思いました。

母の思いに寄り添って、自分もできるだけ無理をせずに、いつも機嫌よくしていること。

それが、私の課題…

そう考えれば、以前と何も変わらないのかもしれません。

 

 

・・・と、ここまで書いたのは、実は10月ごろのことでした。(アップせずに放置してしまいました)

 

その頃も、

時々は腹を立てつつもおおむね機嫌よくやっていることに変わりはありませんでした。

でもそこには努力が存在し、

つまりはなにがしかの無理がありました。

あれから2か月。

いまは、腹を立てる回数が激減し、

優しく接することにほとんど何の無理もなくなって、

母と暮らす日々の幸せを、

感じることができるようになりました。

これは私にとって、とても大きな変化でした。

 

次回は、ここに至るまでの話、助けになったものやことについて書こうと思います。

いろいろあると思うので、何回かに分けることになるかもしれません。





母の今年 その2―夏風邪と認知症①2019/12/29 20:08

認知症の母と暮らすようになって、気づくともう10年ほどになります。

症状は、3歩進んで2歩下がる、という感じでじわじわと進んできています。

ぐんと進むのはやはり、病気などで身体が弱った時と生活に変化があった時で、どうなるかと思うほど急激なこともあります。

それでも、健康が回復したり生活習慣を見直したりするとかなり戻り、前よりはちょっと進んだかな、というあたりまで恢復して落ち着く、というのを繰り返しています。

 

夏の暑さもこたえるらしく、

歩くのが難しくなり始めたのは昨年の夏でした。

歩くためには、けっこう複雑な頭からの指令が必要らしいのです。

そして今年の夏。

8月の終わりごろから、風邪が治ったと思ったのにぶり返すのを何度か繰り返していたら、急にがっくりと弱って、歩くのがままならなくなりました。

もともと変形性股関節症は持っているのですが、毎週治療家の方にお世話になって、今は痛みもなく、しっかり体重が載せられるようになっていますし、

3回のデイサービスでもトレーニングをしっかりしてくださるので、器質的には動くはずなのです。

それなのに歩こうとしても足が前に出ず、

前に行こうという意思はあるのでふらふらと揺れるのに

どうしても足が動かなくて、やっとのことで1~2センチ。

一歩ごとにそれを繰り返していると、

普段はさほど遠いとも思わない部屋からトイレまでの距離が、ものすごく長く感じます。

 

そしてある晩。

トイレから戻るとすぐにまた行きたくなるのを繰り返し、

両側から抱えたりおんぶして連れていったりした挙句、

出かける時に使っていた車椅子をよく拭いて家に上げ、

それで往復することにしました。

後半は少し間隔が伸びて1時間半で1回ほどに落ち着きましたが、一晩に、軽く10回以上。

 

翌日、チーム診療をしてくださる大きな病院へ駆けこんで、いろいろ検査していただきました。

心不全でも似たような症状が出ることがあると聞いたので心電図もとっていただき、血液検査はもちろん、泌尿器科系もすべて検査したけれど数値に異常なし。

肺のCTも撮って、もともと肺MAC症を持っているので影はあるけれど、大きな肺炎はおこしていなさそうだということで、念のための抗生剤をいただいて帰ってきました。

 

家を出る時は、このまま入院かもしれないと思いながらだったので、特に大きなトラブルはないという診断は、ほっとした半面、なにやら不思議でもあり。

無事に家へ帰りついたときはしみじみ嬉しく思いました。

                                (つづく)