神々の残照―いのちの海の声が聴こえる2019/04/26 15:58

 

昨日は、国立劇場での公演の、三回目の劇場稽古でした。

行くたびに思うのですが、国立劇場には、どこか特別の雰囲気があります。

舞台は間口も奥行きも広々としていて、奥へ行くとお客様からはかなり遠くなるのですが、

なぜか、どこにいても客席からとても良く見えます。

普通の劇場だと、横移動のフォルムは見えても前後のフォルムは見えにくかったりすることがよくあるのですが、

ここでは前後の移動もはっきりと見え、空間の広がりが

とても生きるのです。しかも、大勢の群舞でありながら、一人一人の心の動きまでが全部見えてしまう…

本当に不思議な舞台です。

 

昨日の稽古では、舞台前面で踊るダンサーさんたちと、

主に後方を受け持つオイリュトミー群舞との関係が

少しずつ見えてきました。

シャープな動きで魅せるダンサーさんたちの後方で、打ち寄せては引く波のようにオイリュトミーの大群舞が空間を動かし、かなりダイナミックな舞台になりそうです。

古事記の群読とマーラーの交響曲とが出会い、

コンテンポラリーダンスとオイリュトミーとが出会い、ちょっと言葉にはし尽くせないような

前代未聞の舞台が現出しそうで、ワクワクしています。

 

昨日は、ダンサーさんや群読の人たちが来る前にオイリュトミーだけの稽古があり、11時から2時までお昼休憩なしでほぼノンストップという、いつもながらのハードさでしたが、時間のたつのがあっという間で、とても充実した時間が持てました。

今回オイリュトミーの群舞に出るメンバーは、数年前に一緒にメキシコ公演へ行ってきた時の仲間。それぞれ、様々なキャリアを積み重ねての再結集です。あれからの数年で、みなそれぞれに進化してきました。

出された指示を理解する速度の速さ、全体の中で自分がどうすればフォルムの意図が実現されるのか考え、工夫して動く能動性、翌日の稽古までに前日の新しい内容をしっかりものにして来る姿勢(しかも、昼間は働いていたりして時間のない中!)等々、本当にすごい人々です。

しかも、それぞれがかなりの努力で状況をやりくりしながら参加しているせいか、何かで稽古を休まなければならなかった仲間へのフォローや、怪我や体調不良への気づかいなど、一時的に弱っている仲間に対しての思いやりが、

さらっとしてさりげなく、かつ細やかで温かいのです。

きついのはお互いさま、ということもあるのでしょうか、作品づくりに対する各々の厳しい姿勢がベースになっているので、優しくありながら、ぐずぐずした雰囲気に流れることもない、絶妙のバランスです。

かなり過酷な稽古ですので、おのおののセルフメンテナンスは欠かせません。最初の3か月ほどは、短い休憩の間、それぞれにメンテナンスをしながらの情報交換がとても楽しかったです。いろんなクリームやローション、ケアグッズからストレッチの方法まで、さまざまな新しい知識が一気に増えました。

所属した期は違っても、それぞれに癖のあるメンバーと4年間ほぼ毎日顔を合わせ、さまざまな局面を共に乗り越えてきたシューレでの経験が、強い結束力と深い思いやりを育てているのでしょう。年齢も立場もさまざまですが、

オイリュトミーへの思いで一つになれる、本当に居心地のいい場であり、素晴らしい仲間たちです。

舞台に対してどこまでもストイックでありながら他人(ひと)への優しさ忘れない、

師匠の在りかたが、そのままグループの在りかたとして結実している感じがします。

 

昨年12月から、ちょうど半年ほどの稽古期間ですが、

ついに、本番まで1か月をきりました。

当日まで、引き続き綿密な努力を積み重ねながら、

全員で、力いっぱい駆け抜けたいと思います。





     初回舞台稽古の休憩時。他の団体の方が下見にみえていました。

国立劇場のひのき舞台でオイリュトミーをします(エイプリルフールではありません)2019/04/01 19:09

5月25日に国立劇場で、

日本舞踊、インド古典舞踊、トルコ舞踊と、

日本のコンテンポラリーダンスを組み合わせた

「言葉~ひびく~身体
神々の残照-伝統と創造のあわいに舞う-

という大きな公演があります。

その最後の演目「いのちの海の声が聴こえる」で、

古事記の群読とマーラーの交響曲第5番の響く中、

錚々たるダンサーの皆さんが踊られる舞台で、

19名のオイリュトミストが、群舞をします。

その大群舞に、夫と私も加えて頂いているのです。

昨年の12月から稽古を重ねて来ており、いまは、

フォルム(空間を移動する大きな動き)が全部通って、音の動き(主に腕と手で行います)も一部乗り始めています。

 

 マーラーの交響曲第5番は、とてもドラマティックで起伏に富み、エネルギッシュな部分が続いたかと思うと、うっとりするほど美しいメロディや快活なところもあって、とても素敵です。ちょっと、映画音楽のよう。

オイリュトミーは1243つの楽章をほとんど動くので、第2楽章の最後に1分ほどのインターバルがある他は、

ほぼ45分間動きっぱなしです。

しかも、音楽が変化に富む分、すごく激しかったり、早かったり、ゆったりと見えてたくさん動いていたりする、過酷なフォルムばかりなのです。

 私は、十五年以上前のフォルトコースの最終公演で、シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」の30数分動きっぱなし、というのを経験しているのですが、それ以来の、というか、さらに10分以上長いハードさ。

あの時は、公演が終わったら体がすっかり変わっていて、「これはぜひキープしなければ!と思いましたができるわけもなく、残念な思いをしました。

今回はどうなるでしょう。

おそらく、キープするには同じようなペースで動き続けるしかなく、それは至難の技ですが…

今度こそやってみたいです。






節分です2019/02/03 15:32

今日は節分、明日が立春です。

以前は豆まきが大好きな年中行事だったのですが、

「鬼」というのは本当は悪いものではなかったのだ、

という話を知ってから、なんとなくやっていません。

どこかの地方のように、

「福も内、鬼も内」と言えばいいのでしょうけど。

 

そして。

いよいよ明日から、今年の干支になるのですね。

ちなみに、今年の干支「己亥(つちのと い)」は、私の生まれ歳と同じです。

と、いうことは…

還暦なんです。

赤いちゃんちゃんこを着て、縁側に座らなければなりません。

…お婆ちゃんですね。

前々回、白髪を染めないことにした話を書きましたが、

思い切るきっかけの一つに、

「もう来年は還暦だもの、いまさら若ぶってもねぇ」と思ったこともあります。

 

ネットなどで解説を読むと、

己亥は、水をたくさん含んだ土や、種の状態を指すのだそうです。

芽吹きを控えた、準備の年まわりとか。

ちなみに私は、九星気学でいうと五黄土星。

かなり強くて、頑固者のようです(やっぱり)。

マイペースらしいです(やっぱり)。

学校の同学年は、早生まれの人以外は皆この星ですよね。

マイペースの頑固者ばかりが揃っている学年って、

傍から見ると一体どんなだったんでしょう!

(でも私、その学年の中でも特に変わり者で通っていたような…)

早生まれの人たちは、さぞかし苦労したのではないでしょうか。

あ、でも、親分肌、姉御肌の人々でもあるらしいので、

年下の人々には優しかったかもしれません。

いいことも書いておきましょう。

困難にあったとき、粘り強くて諦めない

「意志の人」たちなのだそうです。

 

さあ、いよいよ還暦の一年が始まります。

生まれるとき何を思ってこの世にやってきたのでしょう。

思いを巡らせてみたいと思います。





バンドデビュー!?2019/01/24 18:30

自主学校「遊」では、毎年2月に音楽会があります。

初めて遊の音楽会に行ったのは、

急逝された恩師の谷合先生から卒業生の作品制作を引き継いだときですから、4年前のことになります。

こどもたちが、下級生もそれぞれに、できることを探したり上級生に指示してもらったりしながら自主的に動いていたし(一年生が、自分も何か役に立とうと、いかにも忙しそうに動き回っているのが可愛いくて!)、合間の時間にはものすごく楽しそうにパワフルに遊んでいたので、

びっくりしたのを覚えています。

発表自体にも色々と趣向が凝らされていて、けっこうグッときます。懸命な子どもたちの姿が愛おしくて、涙が出てきた年もありました。

 

もう一つ驚いたのは、

楽しそうに演奏したり歌ったりしているのがこどもたちだけでなく、おとなもだったことです。

第一部のこどもたちの発表が終わると、

第二部では、ちゃんとドラムもエレキギターもあるバンドで先生や父母の方たちが歌ったり、卒業生たちと卒業生の親御さんとのバンドもあったりするのです。

 

先学期末、

入学希望の方とのお話に同席させていただいた時に、

遊では、大人がまず人生を楽しんで、

こどもたちにその姿を見せることが大切だと考えている

とのお話を聞いて、

そういうことだったのか!と納得しました。

 

すごいなぁ、と思いながら観てきたそのバンドなのですが、なんと今年、

「一緒に歌いませんか」とお誘い頂いてしまいました。

バンドなんていう柄ではないし、

今年はプライベートでも公的にもいろいろあって慌ただしく、とても無理

と思い、そんなようなことをごちゃごちゃと口走っているさなかに、突然、

「嬉しいです!」という言葉が

口から飛び出してしまっていました。

W先生には、私の右脳と左脳が正反対のことを言って

頭の中がしっちゃかめっちゃかになっているのが、

手に取るように見えたのではないでしょうか。

 

と、いうわけで。

金曜日の放課後に、練習が始まっています。

ドラムとエレキギターが2本の、素敵な男性陣に囲まれ、

在校生のお母さんにとても歌の上手な方がいらして、

カッコいいのです。

私は、大好きなビートルズのHelp! の、

主にジョージのパートを歌います。

もう一曲のほうは、

楽器が何もできない私はけっこう暇なので、

ギターが弾ければよかったな…などと、

ちらっと思うこの頃です。





白髪交じりという自由2019/01/21 14:51

さて。先日アップした発表会の写真、どれが私かおわかりになったでしょうか?

小さいですが、最近お会いしている方々には見つけていただけたのではないかと…。

でも、いくら見てもわからない! という方もいらしたかもしれません。

実は私、去年の前半までとは髪の色がかなり変わっています……本来の色に戻っている、ということなのですが。

白髪染めをやめたのです。

 

いつかはやめたいと思いつつまだまだ先のことと考えていたのですが、去年の夏、あまりの暑さに(?)衝動的にやめてしまいました。

踏み切ったのは自分でも驚くほど突然でしたが、

どうも、それまでにいろいろと心境の変化があってのことのようです。

 

昨年出会った魅力的な方々のなかに、ヨーロッパのアンティーク手芸蒐集家がいらっしゃいました。

京都で生まれ育ち、デンマークへお嫁に行かれた方で、

八割がた白髪の混じった自然な髪色がとても素敵でした。あり方そのものに無理がなく、どこまでも自然でいながら洗練されていて、佇まいのすべてが美しく、皺までが輝いて見えました。

 

年月を経たからこその価値を湛えるアンティークの品々。

その数々を間近に見つつお話を伺いながら、

この方みたいに年を重ねたい! と思ったとき、

世界が違って見えてきたのです。

 

物が、ただ古びて魅力を失うのかアンティークとしての価値を持つようになるのか、その分かれ目は、

言葉にするのは難しいですが厳然としてあります。

ちょっと乱暴ですが、私なりに一言で言ってしまえば、

愛のエネルギーをどれほど内包しているか、

ということのように思います。

物の場合はもちろん、

そのエネルギーを注ぎこむのは人です。

熱意を持って作られた物、愛を持って扱われる物には、

不思議な命が宿るのです。

そして。

年を重ねてますます素敵になるのはやはり、

愛(いろんな種類の!)のエネルギーが大きい方のような気がします。

物の場合はどこまでも、「他人(ひと)(だの)」ならぬ「人頼(ひとだの)み」であるしかないのですが

人の場合、自分自身の中から無限に湧き上がるものであるところが素敵です。

 

 

髪を染めないことにして、

わかってきたことがいくつかあります。

一番大きかったのは、自分の未熟さでした。

物知らずだったり考えが足りなかったりするのを、

「若さゆえ」と見のがしていただけるのではないか…と、

どこかで思ってきたフシがあったのです。

外見の若さなどという不確かなものを、

隠れ蓑にしたつもりで甘えていたわけです。

また、自分の中にどこか、髪を染めることで

社会に馴染んでいられるような気持ちがあったらしい

というのも発見でした。

さまざまな思い込みの網にかかって、

勝手に不自由になっていたようです。

 

 

以前はかなり若く見られることが多かったのですが、

年齢にしては白髪が多いほうなので、

今はむしろ、実年齢以上に見えているかもしれません。

そのギャップの大きさには少しとまどいも覚えます。

それに、私にはどうも、いまだに学生気分が抜けていないところがあって、精神年齢からいうと

染めていたときのほうが合っていたのかもしれません。

 

でも、

そのねじれも含めて自分です。

年の割に白髪は多め。

気が若くて幼い。

はい、それでOK

 

癖になってしまっている心の持ち方は案外手ごわくて、

より自然なはずなのに、

「新しい」自己イメージに馴染むのに、まだ時間がかかりそうです。

でも、一つのことについて遠慮なく自分をさらけだす覚悟ができたことで、

他の部分についても連動が起き始めていて、

軽くなった部分が確かにあります。

「どう見えてもいいや、これが私なんだから」

と開き直った分、いままでよりも自由度が増して、

遠慮なくいろんなことができそうな気がしています。




いまは白髪混じりをグレイヘアというそうで、こんな本も出ています。はやりだしているのですね。髪を染めるのをやめた後、移行期を乗り切るためにと、ひと足先に白髪染めを卒業していらした素敵な先輩がこの本を貸してくださいました。
その方の潔い白髪が清々しくて美しかったことも、きっかけの一つになっています。