2019年のこと2019/01/09 15:52

いまさらですが…

あけましておめでとうございます

 

さて。

私たちは、おかげさまで無事に新しい年を迎えました。

楽しみにしていた年頭の発表会も無事に終わり、

いまは、次の嬉しい予定のために走り回っています。

今年は次々と楽しみごとがあって、

目の前に何本も人参をぶら下げられたイノシシのような気分です(…人参? イノシシって、何がぶら下がると張り切るんでしょう?)。

 

ざっと数えてみると、前半だけでも、

2月には(遊での)歌手デビューが控えていますし、

    家族の大きな変化も予定されています。

3月にはやはり遊で、子どもたちにオイリュトミーによる音楽劇を発表してもらうつもりですし、

4月ごろには自分がyou tube デビューをし、

5月末には夫婦そろって国立劇場での公演に参加させてもらいます。

6月ごろには、とうとうヒーラーデビューもしそうです。

(これらについては、改めてゆっくり書きます)

 

また、具体的な計画は立っていないのですが、

ある受講生の方によると、実は今年、

Lands and Skies は活動を始めてから10周年だそうで(そういえばたしかに!)、

「記念公演は何月ですか?」と訊かれて慌てました。

もともと、年内に小さな公演ができればいいな、

とは思っていましたが、

何かするのでしょうか…

 

その間、家の方も、

人数の変動に伴う部屋割りの変更もあれば、

友人の庭師さんに立ててもらったプランに基づいて、

庭に手を入れ始める予定もあります。

 

何しろ今年の年女ですので、

猛進は得意技。。。というより、まっすぐにしか進めないのです。

 

と、いうわけで。

今年もなにとぞ よろしくお願い申し上げます



     先日の発表会でのひとコマ。7弦のライアーを演奏しているところです。

2018年、ありがとうございました。2018/12/31 23:47

今年も、あと数分です。

いろんなことがありましたが、

自分についても、家族についても、周囲の方々を見ても、

全体として、これからどういう方向へ進んでいきたいのかを考え、そのための土台づくりをする一年だったように感じています。

自分についていえば、

迷走しかけて友人にアドバイスを求め、事なきを得たこともあれば、

情報集めのため(と自分では思っているのですが)あまり自分らしくないことに首を突っ込んで、家族が心配したこともあったようです。

いろんなものを見聞きして、

結局のところ何が起こったかというと、

そもそも自分がどういう人間であったのかに気づき、

自分らしくないことは頑張ってもあまりうまくできないこと、そして、案外、自分らしくあることを自分に許していなかったことに気づいて、

なんだ、無理をせずにそのままでいればいいんじゃないか

ということになりました。

 

仕事を通していろんなところへ出かけ、

素晴らしい方々と知り合えたことも印象に残っています。

憧れを覚えるような魅力的な先達の姿に触れ、年を取ることが怖くなくなったのも、大きな収穫でした。

 

まだブログに感想を書けていないものも多いのですが、

大きなインパクトを与えてくれた映画や本にも、いくつも出会いました。

いま思い起こしてみたら、それらのひとつひとつが、

まるで宝石のように、心の世界のそこかしこで輝いているように感じます。

なんと豊かな時間であったことでしょう…

 

もうすぐ、新しい年が始まります。

どんな年になるのでしょう。

新しいことを始めたく思っていて、大きな変化の年になりそうです。

「やりたいことは、やろう」

これが、そんな今年を過ごしていま思っていることです。

 

これまで、本当にありがとうございました。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。





発表会をします2018/12/23 23:25

今日は、年明け早々にある小さな発表会のお知らせです。

 

ここ数年、Duo Doubleと銘打って

連弾のピアニストご夫妻と一緒に公演をしていますが、

お二人と出会ったきっかけは、

ライアーの演奏者として奥様を紹介されたことでした。

その後2回、ピアノとオイリュトミーとで公演を共催しましたが、

実は、ライアーとのコラボもずっとしてきています。

三鷹で、ライアーで動くオイリュトミーの個人クラスを二つ開いていて、そのうちの一つでは、オイリュトミーのあと、私も一緒に生徒になって、7弦(ペンタトニック)のキンダーライアーのお稽古もしているのです。

 

年明け早々に吉祥寺で、

それらのクラスの合同発表会をすることになりました。

依田さんの所で学んでいる、大人のライアークラスの方々や語りをなさる方、ソルフェージュを学んでいる子どもさんたちとも一緒です。

ライアーによる音楽オイリュトミーの他に、

一年近くかけて学んだ惑星の動きも、詩と音楽で発表してもらいます。ライアーのために作曲された惑星の音楽が、とても不思議でいい雰囲気なのです。

また7弦ライアーの発表では、なんと依田さんのご夫君とうちの夫も仲間に加わって、大人のライアー3台に伴奏していただきながら総勢9人で演奏することになりました。

最後には依田さんご夫妻のピアノで、私たちも

「マ・メール・ロワ」から3曲をオイリュトミーで動きます。

 

あたたかな、いい雰囲気の会になりそうです。

なんとなくウキウキするような、

少しドキドキもするような…

一般の方にはご案内しない小さな発表会ですが、

みんなで集えることがただ純粋に嬉しくて、

喜びは、とても大きいです。




左は私のライアー。キットで購入し、本体を紙やすりで磨くなどして仕上げました。
右は依田さん所有のものを夫がお借りしています。

[ボヘミアン・ラプソディ」をみました2018/12/19 22:06

噂の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を、ついに見てきました。
映画館で予告ポスターを目にした瞬間、「絶対に観る!」と叫んでしまった映画です。前日にYoutubeでライブエイドの動画を観て素晴らしい声と長い脚にうっとりため息をつき、準備万端。CDの「Made in Heaven」を聴きながら涙したこともある私としては、泣く気満々でハンカチもティッシュも多めに用意して出かけました。

 

でも、映画の本編では特に泣くような気分にはなりませんでした(泣けばいいというものでもありませんが)。ぐっときたのが、最後に置かれていた実写です。ずしーんと重く響いて、単に「泣く」などというレベルの話ではなく、心の深いところに剛速球が投げ込まれたような。

 

帰ってきてから、飢餓感のようなものに突き動かされて、実写などでフレディの人生を振り返った動画やクイーンの記録映像をいくつも観ました。短い結婚のあと生涯の友となった女性(彼女との関わりについては、映画での描かれ方にかなりの違和感があります)も、彼の最期の時に寄り添った晩年の恋人も、本当に深い関わりを持った人だからこその面もちでコメントを述べていて、こんなに素敵な人々とこんなに深く心を通わせることができた彼は、短い命だったし孤独な時もあっただろうけれど、やはり幸せな最期だったのではないかな、と感じました。
もしかしたら彼は、聴衆の熱狂の中で足早に舞台を去るコンサートと同じやり方で、若い盛りに人生の幕を引くことを、初めから計画して生まれてきたのではないか…と思ってしまったほどです(遠くから見ている人間の、勝手なもの言いではありますが)。

 

私はクイーンにはあまり詳しくなくて、フレディ以外のメンバーについてはほとんどわかりません。実物そっくりだと聞いていたので、映画を観終わった時、やっぱり皆かっこいい人たちだったんだな、と思いました。メイキング動画によると、役者さんたちは本当に楽器を弾けるように練習を積んだそうで、たしかに迫力がありました。
 フレディを演じていた俳優さんも、できることはすべてやり遂げ、素晴らしい出来だったのだと思います。動き方やしゃべり方の癖を研究し尽くし、なりきって演じていたということで、確かに身のこなしも軽やかでバネがあり、ライブエイドの映像と比べても、どこでどう動いたかが見事に一緒でした。それはすごいことだと思います。メイキング動画で素顔で話している姿には、とても好感が持てました。

でも…
 映画の冒頭、あえて顔を映さずにシルエットや舞台へ向かう後ろ姿が映るのですが、見るなり心が「違う!こんなんじゃない!」と叫びます。「後ろ頭の形が違う!あのオーラがない!」などと、自分でも理不尽だと思いながら、つい思ってしまうのです。

結局全編にわたって、歯が出ていた(?)というフレディに似せるための不自然な付け歯への違和感とともに、どうしても、演じられたフレディが妙に子どもっぽく感じられて、素直に物語に入り込んで感情移入をすることができませんでした。

それはひょっとしたら役者さんのせいばかりではなく、脚本全体の、人間描写のせいもあったかもしれません。あとから思ったことですが、心理描写がありふれた感じで、随所に違和感がありました。フレディがソロ活動をしていた時期にからむ顛末の描かれ方もそうで、まだ生きている関係者たちへの遠慮があるためかと思ったら、映画の制作にメンバー自身が深く関わっていることを知って、ちょっと考え込んでしまいました。フレディの孤独の深さが、そんなところからも推し量れるような気がしたのです。彼らにとって、フレディという存在はまだ生々しく生きていて、客観視して映画にすることなどできるはずもなかった、ということなのかもしれません。それとも、そもそも一緒にいなかった場面は想像で描くしかなかった、そのためなのでしょうか。もしかすると、彼らにしてみれば「ずっと自分たちと一緒にいれば病気になどならずに済んだかもしれないのに」という思いもあったのかもしれない…と、勝手な想像まで膨らんでいます。

 あとから観た実写のインタビューで、最後のレコーディングについて述べていたメンバーの話には感動しました。

最期までミュージシャンとして生きようとした彼の姿と、ぎりぎりまでそのような濃密な日々を過ごすことができたこと、それを支えた仲間たちとの関わりが素晴らしく、

救われるような思いがしました。

 

文句ばかり並べ立てたような文章になってしまいましたが、本当は、観に行って良かったと思っています。あとから実写の映像を観ていろいろ考えるところもありましたし、実際のところ、映画館の、大画面と特別な音響効果のもとでクイーンと出会えたことは、ひょっとしたらその後の自分のあり方を変えてしまったかもしれないくらいの、大きな体験だったのです。




 ジャケットになったこの写真にはフレディの部分だけが切り取られていますが、
 元の写真には、左側に他のメンバーが映っていたようです。

とんでも勘違い3―子守唄にチャイコフスキー!?2018/10/20 15:11

先日、カメラマンのS氏にお招きいただいて、

セシオン杉並のチャリティ音楽会に行ってきました。

そこで聴いたチャイコフスキーのピアノ三重奏曲が、

それはそれは素晴らしかったのです。

長いのでなかなか演奏されない曲なのだそうですが、

このまま、いつまでも終わらないでほしいと思ったほど。

帰り道に、ふと思い出しました。

「そういえば、私の子守唄はチャイコフスキーだったんだっけ?」

 

と、いうわけで、今日のテーマは子守唄です。

自分が子どもの頃に遭遇した勘違いのお話の三つめ。

ようやく、初めに書こうとしていた内容に到達しました。

 

 

子守唄って、「お母さんと赤ちゃんとで完全に満たされている世界」を象徴するもののような感じがします。

この世界が、その後の人生のいろんな場面で、しっかりと人を支えてくれる力になる。

大切なものなんですよね。

お母さんは、赤ちゃんにとっては世界の全部といっても過言ではないほど。こどもの方は全身全霊で、文字通り全幅の信頼を寄せているわけですが、お母さん自身の方では、まだまだ若くてあまり経験も積んでいないのですから、

案外、自信のない状態でいたりします。

初めてのこどもであれば、自分自身が生まれて初めての大きな経験だらけの中で、まっさらな命に関わるなんていう責任重大なことをやらなければならないわけです。

当然、その道の大家、専門家のお話に耳を傾け、どうすればいいのかを学ぼうとします。

 

私の母もそうでした。

そして、ある大家のお話に触れました。

その方がおっしゃった言葉は

「お母さんが音痴な子守唄なんかを聞かせるから、

 こどもが音痴に育つのだ」。

自分は音痴だと思いこんでいる母は、

即座に子守唄を唄うことをやめました。

そして、夜、赤ちゃんを寝かしつける時に、

なんとクラシックの名曲を聴かせることにしたのです。

(このトホホなぶっ飛びぶり、他人とは思えません。

 あ、母娘って他人ではないのか…)

 

私のために選んだのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番。

妹の時には、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が選ばれました。

自分のときのことはともかく、妹のときのことは、もう5歳だったのではっきりと覚えています。

瞬間で眠りにつける日はいいのですが、うっかりすると、音楽が流れている間中、早く眠らなければとあせりながら調べに乗って心だけが踊り出し

…とても寝付けませんでした。

小学校に上がってからは、ラフマニノフのピアノコンチェルトもよくかかっていました。これもまたとてもロマンティックで、めちゃくちゃ興奮します。

曲が終わってからも、目が冴えてしばらくは寝付けないのです。

 

そういえば、神経過敏だったなぁ…

身体も弱かったし…

こどものころから体がカチコチだったよなぁ…

などと、

「ひょっとしたら影響しているかもしれないこと」は

いろいろ思いつきますが、

確証はありません。

どの曲も、今も大好きなことだけが救いです。

 

 

と、いうわけで。

「赤ちゃんには、お母さんの子守唄が一番ですよ!」と、

声を大にして言いたいです。