えっ、車椅子になっちゃうの!?2020/06/04 12:21

先月のはじめごろ、母の入院している病院から電話がありました。

1月の末に大腿骨を骨折して手術し、いまはリハビリ病院にいるのです。

退院後は家で暮らす予定でいるのですが、

「今の状態を見て、退院後の方針を考えてください」と。

 

なんだか変な言い方だな…?

でも、久しぶりに会える!

 

新型コロナのせいで転院以来一度も会えず、

どうしているか、ずっと心配していたのです。

妹と二人、花を持っていそいそと出かけました。

ところが。

 

車椅子に座った母は、私たちを見ても喜ぶでもなく。

なんとなく不機嫌な感じで

「わたしは、自分の行きたいときにトイレへ行きたいです」と言うばかり。

 

「私たちがわからないの?」と訊くと、

「もちろん、わかるわよ」と、やっとすこし表情が動きました。

「でもね、私は、自分の行きたいときにトイレへ行きたいの」

「うんうん、そうだよね、わかるわかる」

「いま、行きたくなりました」

「えーっ、いま!?」

 作業療法士さんに連れられて、トイレに行ってしまいました。



母のいない間に、先生からお話がありました。

認知症の具合があまり良くないこと、

歩くのは数歩がやっとなこと、

二週間ほど前に、尿路感染で熱を出したこと。

 

転院の時には普通に会話できて、ニコニコしていたのです。

歩くのだって、前の病院では、

平行棒で最高12メートルまで歩けた、と聞いていました。

ここは、散々調べていろいろ見に行って選んだ、リハビリに定評のある病院です。

入院の時には、皆さんとても感じが良くて、

ここなら人間らしい対応がして頂ける!

しっかりリハビリを受けて、もっと元気になって退院できる!

と、希望を持っていたのでした。

 

どうして?

そんなはずは…!!!

 

しかも先生は、

認知症は来た時と変わっていない、

足の痛みはもともとあった変形性股関節症のせいだ、

とおっしゃいます。

尿路感染のことなんか、

忘れていて、一度立ち去ってから思い出して戻ってこられてのお話しでした。

 

いますぐ連れて帰りたい!

 

でもいまは、担当のケアマネさんがいないのです。

入院時に、順番待ちの方がいらっしゃるので…と、

これまでの方にはお願いできなくなっていました。

それに。

 

母は、夜中に何度かトイレへ行きます。

これまでは自分で行けていたのですが、

車椅子では、必ず介助しなければなりません。

 

はぁ…

どうしよう…

 

 

トイレから戻って来た母は、

ちょっと落ち着いていました。

持ってきたフラワーアレンジメントを渡すと喜んで、

初めて笑いました。

しばらくいろいろ話していたら、

やっといつもの表情が戻ってきました。

でも、私たちがちょっと作業療法士さんと話し始めたら、

うとうとしだしました。

 

こんな程度で疲れるのか…

 

とにかく、一日も早くケアマネさんを探してください!

とお願いして、後ろ髪をひかれながら帰ってきました。





えい、えい、おー!2020/06/05 16:08

ケアマネさんが決まったと連絡があったのは、

それから10日後、土曜日のことでした。

 

週が明けるのを待って連絡をとり、会って話しました。

母が楽しく通っていたデイサービス「RION(リオン)」の継続をお願いしました。

RIONには入浴サービスがないので、お風呂をどうするか、

そして懸案の、夜の対策などなど。

いくつかの選択肢を提示してもらって、方針を立てました。

 

翌日。

新しくなった介護保険証を持って、ケアマネさんが立ち寄ってくれました。

リオンさんと連絡を取ったところ、

こぢんまりとしたRIONでは、車椅子での室内移動ができないというのです。

送迎車も車椅子仕様ではないとのことで、

お風呂サービス付きのデイサービスを探す方がいいかもしれない、とのことでした。

 

母は、RION へ通うのが生きがいです。

私も、リオンさんの人柄や、自然なお手当てなどを信頼しています。

暗雲が立ち込めました。

 

「待ってますからね!」と、戻れるように席をあけて下さっていたのに…

病院で87歳の誕生日を迎え、お祝いもできない…としょんぼりしていたら、

寄せ書きを持って面会に来てくださったのです。
いつもながらの元気で明るい声に、救われる思いでした。

頼りにしていたのです。

 

 

夕方、電話が鳴りました。

リオンさんでした。

車椅子から立ち上がることができて、一、二歩でも歩ければ

受け入れは可能だから、

病院へ、母の様子を見に行ってくれるというのです!

 

リオンさんは小柄で、いつもゴムまりみたいに弾んでいる感じの美人。

仕事への情熱は、燃え上がるほどパワフルです。

病院で感じたことを伝え、

「退院したほうが、元気になれるかもしれないと思って…」というと、

「そうですよ!」と力強い返事が返ってきました。

「尿路感染なんか起こすなんて、体力が落ちている証拠です。

 食べ物で体は変わります!」

大好きなリオンさん節を聞いて、元気が出てきました。

 

食べ物で体が変わる、というのはリオンさんの持論で、

デイサービスRIONでは、ご夫君の「パン太郎」さんが、

玄米で野菜もたっぷりの、手作りの食事を出してくれます。

「パン太郎」さんは福島で天然酵母の手作りパン屋さんを営んでいらしたのですが、

原発事故で避難した後、作業療法士さんである奥さまの夢を叶え、

力を合わせてRIONを開設されたのです。

機械を使わない自然なトレーニングや、

生姜湿布や足浴、こんにゃく湿布などの自然なお手当もしてくれます。

去年、母が胃潰瘍になったときも、本当に頼りになりました。

 

なんと、退院後しばらくは、

お昼までの利用で週五日間通う、という案を出してくださいました。

トレーニングで機能の回復を図ろう、というのです。

願ってもない提案でした。

 

「病院へはご一緒させてください!」

「もちろんですよ。一緒に、いろいろ言ってやりましょう!」

 

すっかり勢いづいて盛り上がりましたが…

当日が、ちょっと怖いです。




殴り込み・・・じゃなくて♪2020/06/06 19:41

母に会いに、病院へ行ってきました。

リオンさんとケアマネさんと妹と、4人でです。

 

現地集合だったので、妹と二人、

まずは手土産を用意し、母へのお花も買って、

ドキドキしながら病院へ向かいました。

この間の、小さくしぼんだみたいになって、

表情も乏しかった母の姿が浮かびます。

あれから、二週間ちょっと。

今日はどうでしょう…

 

先日のリオンさんの、

「一緒に言ってやりましょう!」という言葉もよぎります。

殴り込みみたいになってしまうのでしょうか?

でも実際、もし今日もあんな母を見たら、

とんでもないことを言ってしまいそうです。

 

ひとりひとり面会申請書を書き、

額に水鉄砲みたいなものをかざして、ピピピっと熱を測ってもらいます。

すごい世の中になりました。

撃ち殺されやしないかと、ちょっとドキドキ。

なにしろ、ひそかに殴り込みの気分で、ちょっと後ろ暗いのです。

 

指示に従って2階へ上がり、

リハビリ室へと続くやたらと広い部屋の前で待っていると、

作業療法士さんに連れられて、やってきました。

 

母は、今日は私たちを見るなり笑っています!

 

…心配していたようなことにはなりませんでした。

でもリオンさんは、舌鋒鋭く作業療法士さんを問い詰めてくれて、

おかげでいろんなことが分かりました。

尿路感染では、二週間も寝込んでしまったこと、

その間はリハビリもできず、食欲も落ちて、すっかり弱ってしまったこと…

「ようやく体力が回復してきて、やっと入院時くらいまでに戻りました」と。

 

ふうむ…そういうことだったのか…

 

「じゃあ、歩くところを見ていただきましょう」

と、作業療法士さんが歩行器を持ってきてくれました。

母は、少し支えてもらうと自分で立てて、

ゆっくりゆっくり、足を進めます。

手術をした右脚の膝が、内側へ入ってしまうようです。

二歩行ったところで、向きを変えようとしました。

素直にただまっすぐ歩くのではなく、すぐに曲がったりしたがるのも、

いかにも母らしいです。

 

「座りますか? もうちょっと行けますか? まっすぐ行きましょうね」

さらに一、二歩行ってまた曲がろうとしたら、

「疲れましたか? もういいですよ、座りましょう」

と、座らされてしまいました。

 

もうちょっと歩きたいんじゃないかな、という感じもしました。

こんなだだっ広いところに私たちしかいないのですから、

曲がりたいだけ曲がらせてあげればいいのに。


 

本当は、退院前に「家屋診断」というのがあって、

病院から、スムーズに生活できるために何が必要か教えてもらえるのですが、

なにしろこんなご時世なので、よほどのことがない限り、それはしないのだそうです。

…と、いうことは…

こちらの準備さえ整えば、退院できるということです。

やった!

 

帰り道は、リオンさんが車に乗せてくれました。

「いまは体が冷え切っていますよね…

うちでは夏でも、着いたらまず生姜湿布で温め、足浴で温め、

お帰りの前にもこんにゃく湿布で温めて、飲むのは梅醤番茶です。

全身の血流を良くしておかないと抵抗力も免疫力も弱るし、

おなかを温めておかないから、病気や暑さに負けるんです!」

 

退院後のRIONさんでのケアの話を聞いていたら、

めちゃくちゃ元気が出てきました。





最期まで家で暮らす、ということ2020/06/10 10:02

『病院で死ぬということ』という本が出たのは、もう30年も前のことだそうです。

映画にもなって、大好きな岸辺一徳さんが主演でした。

「病院で死ぬ」ことが当たり前だったころ。

介護保険制度ができる10年前のことです。

 

著者の山崎章郎(ふみお)先生は、小平市にあるホスピスに長くお勤めになった後、

2005年に在宅介護の拠点「ケアタウン小平」を作られました。

父がお世話になったのは、開所されてから二年ほどたったころのことです。

 

横浜で癌の闘病生活を続けていた父が

山崎先生にお世話になりたいというので、

小平に住むところを探しました。

取り急ぎ見つけたマンションは、玉川上水のすぐ近く。

南に大きな窓があって、

目の前に上水沿いの木々を見下ろし、空が大きく広がって、

ちょっと、ここはヨーロッパかな?と思ってしまいそうな眺め。

小さなころから空が飛びたかった私にとっては、最高のところでした。

当時私は国分寺に住んでいたので、

自転車で片道20分足らずで行き来できるのも利点でした。


手続きの日、帰ってゆく両親を国分寺駅で見送りました。

にこにこと手を振る姿を見ながら、

これからはここが二人の生活圏になるのだな、と

嬉しさに思わずじ~んとしたのを覚えています。

 

ところが。

翌々日、父は倒れました。

横浜の大きな病院に入院したので、

毎日のように横浜へ通う日々が始まりました。

肺炎を起こし、導尿の管からお通じが漏れ…

そのまま,最期までそこに居るしかなさそうな病態が続き、

ぎりぎりの選択を迫られました。

 

でも。

不思議な偶然が次々と重なり、

父は、医療用のタクシーで、点滴をしながら寝たまま小平までやってきました。

そしてそこで、最後の3か月を過ごしたのです。


 

もっとああすればよかった…と思うことは、いくつもあります。

人間の力には限りがあるのだから、

どんなにベストを尽くしても、後悔は付きものなのだとも思います。

 

でも在宅を選択したこと自体は、本当に良かったと思っています。

一緒に居ながら、家族が普通にしていられますし、

病院では、具合が悪くなった時に

看護師さんを待ちながらやきもきすることもしょっちゅうでしたが、

家なら、やり方は教わっているので、すぐに自分で対処できます。

対処できないときには連絡すれば看護師さんが駆けつけて下さるので、

安心感もありました。

 

父は、家族に囲まれて、旅立っていきました。

 


あれから13年。

そのころから認知症の症状を示していた母が、

骨折し、車椅子の必要な状態になって、

もうすぐリハビリ病院から退院してきます。

 

父の時とは違って、きっと長丁場になるでしょう。


どのような状態であれ、できる限り自然に、

家族の時を重ねていければいいのです。

 

お互いに、楽しい時間にしたいと思っています。


     裏高尾、日陰沢の渓流。できればいつか、母を連れていきたいです。

模様替え完了!2020/06/11 14:29


夫と妹と三人で、

母の部屋の模様替えをしました。

 

手術したのが右脚なので、左側から寝たり起きたりする方が楽だということで

ベッドの向きを180度回転させ、

夜中のトイレ介助のために、介助者用のベッドを入れます。

そのため、仏壇をちょっとずらしたり、

タンスの位置を移動したりする必要もありました。

 

苦労したのが介助者用ベッドの運び込みです。

去年独立した、娘が使っていたベッドを入れようと思ったのですが、

どう工夫しても階段が通れないのです。

引っ越し屋さんはどうして通ったのでしょう? さすがプロです。

 

結局、娘のベッドは妹の部屋で使うことにして、

解体のできる妹のベッドを、母の部屋へ運び込んで組み立てました。

 

骨折したのが1月の末だったので、季節が全く違います。

衣替えも一緒にしました。

 

すっきり!

なんだか、空気の流れも違います。

ベッドを入れたのに、逆に広くなったように感じるのはなぜでしょう。

 

これでいよいよ、母を迎え入れることができます。

 

やっぱりワクワクします。

ここなら楽しくやれそうです。

 

                こんな感じになりました。


           ひと休み。じわじわと喜びがわいてきました。