そこにいるだけで輝き出るもの ― 2020/06/14 17:01
今朝8時ごろのことです。
ベランダで洗濯物を干していると、
チラチラと、なにか輝くようなものが目に入りました。
アゲハ蝶です。
前の家の、小さな花をたくさんつけている生け垣で、
一匹のアゲハ蝶が、
花から花へ、飛び移っては蜜を吸っています。
花が小さいのでとまることができず、
ずっと羽根をはばたかせ続けているのです。
撮っておきたいと思って急いでスマホを探し、
少し撮影しましたが
すぐにやめました。
輝きが消えてしまう…
でも、肉眼で見た最初の数秒の印象は、
くっきりと胸に残っています。
時間の長さじゃないんだな…
命の輝き、とでも言いたいような何かでした。
蝶にしてみれば、ごく普通のことでしょう。
可愛い花があり、蜜があって、
いつも通りの食事をしていたのでしょう。
もちろん、誰かが見ているなんて、思ってもいないでしょう。
別に、誰かのために努力しているわけでもないのです。
ただいつも通りに生きている、そのことが
こんなにも輝いているなんて。
ふと、
もうすぐ退院してくる母のことを思い出しました。
母はもう、
五分前にあったことも忘れてしまうのです。
危なくて、自分一人では歩けなくなってもいます。
そのことを、本人は引け目に感じているようです。
「情けない…」
と、よく言います。
「なんのお役にも立てなくて…」
というのも、お得意のフレーズです。
でも。
母が楽しそうだと、家族中が喜びます。
みんなが幸せになるのです。
自分が幸せでいるだけで、
周り中の人を幸せにできる…
ちぇっ、なんだかずるいや。
小さくため息をついて、
撮った映像を消しました。
胸の奥ではまだ、
あの蝶が輝いています。

奇跡はけっこうしょっちゅうある ― 2020/06/15 12:34
病院へ一日早く迎えに行ったら、
母がスタスタ歩いていた
という夢を見ました。
クララが立った! …みたいな奇跡。
そこまではいかなくても、
母だって、
家に帰ってくれば
うんと元気になるはず。
私には確信があります。
なぜかというと…
こんなことがあったのです。
まだ大学生だったずっとずっと昔、
父方の祖父を
家で看取ったことがあります。
祖父は、入院した時に、
失禁してしまったことが引き金となって、
あっというまに、
頭が壊れてしまいました。
小さな医院を畳んで上京し、
老後を過ごしていた祖父には、
かつては働く場だった
「病院」というところで
一患者として扱われる日々、
そこでの失敗が、
耐えがたかったのでしょう。
人は自尊心の生き物なのです。
家で世話をすることになって、
家族で唯一運転のできた私が
車で迎えに行きました。
祖父の目を見たとき、
恐ろしくて
体が芯から震えました。
何もない
虚ろな空間がそこにあったのです。
3日前には普通だったのに…
大きな体を
みんなで担ぎ上げて車椅子に乗せ、
男の人に頼んで車に乗せてもらい…
病院から家までは、ほんの数分です。
家への角を曲がったとき、
声がしました。
「帰ってきましたなぁ~」
そして。
祖父は自分の足で歩いたのです。
門から数段の階段を上り、
4メートルほど歩いてもう一段上がり
ドアを入ると上がり框も登って。
奇跡はそこまでだったのかもしれません。
その後のことはあまり覚えていないのです。
でもその光景は、
目に焼き付いて忘れられません。
明日は母の退院です。
今度の奇跡は一瞬で起こるか、
それとも時間をかけてじわじわくるか。
楽しみにしています。

草木も眠る丑三つ時 ― 2020/06/19 17:26
火曜日に、母は退院してきました。
骨折した日から、ほぼ4か月がたっています。
夫は、親せきに取り込みがあって急遽帰省したので、
妹と三人、しみじみと昼食を食べました。
ほっとしたのもつかの間、
3時から、介護保険の「担当者会議」です。
ケアマネさん、デイサービスのリオンさん、
福祉用具の業者さんと、入浴サービスのヘルパーさん。
さまざまなプロの観点から、
可能な、よりよい支援を検討してくれます。
初めてヘルパーさんにシャワーも浴びさせてもらい、
終わったのはもう、6時近く。
問題はやっぱり、夜中でした。
夜は10時少し前にベッドへ入り、
すんなり眠りについたので安心したのは束の間のこと。
11時半ごろに最初のトイレ。
次は12時過ぎでその次が2時。
その、2時の時でした。
トイレから戻ると、
「脚が痛いから、服を着せてください」
訳のわからないことを繰り返し言います。
どうしたらいいかわからないし、ちっとも寝そうにないので、
病院からいただいてきた、
「眠れないとき」とかかれた頓服を飲んでもらいました。
お薬の効き目はばっちりでした。
ところが。
そのあと、5時半ごろに起きてトイレに行ったとき、
体は前かがみになったままだし、足がうまく動かないのです。
さんざん苦労しました。
そして、朝。
デイサービスRIONへ行かなくてはならないのに、
全く起きる気配がありません。
ぐ~すかぐ~すか
昨日の夜が恨めしいほどの眠りようです。
1時間遅れでなんとかRIONへは行けましたが、
あちらでも、ずっとウトウトしていたようです。
午後、帰ってきてからトイレに行くときにも、うまく足が動かず。
そのあと少し居眠りをして、やっと調子が出てきました。
お薬って怖いものだなぁ…
夜中の2時に飲んだので、
余計に遅い時間までずれ込んだのでしょうが、
「眠れないとき」のための頓服を、
夕食後にあらかじめ飲んでおくわけにもいきません。
もう、そのお薬は飲まないことにしました。
そして迎えた2晩め。
少し前に、ソルフェジオ周波数の音叉の音を集めたCDを買っていたので、
その中の、強力に眠くなるという音を一晩中かけてみました。
いかにも落ち着きそうな低い音。
単調な音叉の音が、ずっと続きます。
結局、
10時に寝てから7時過ぎに起きるまでに、
計7回のトイレ。
そして、問題はやはり、2時に起こりました。
トイレで粗相があったので、
先にベッドへ戻ってもらってから掃除をしに行ったのですが、
終わって戻ってくると、母の様子が不穏です。
「寒いのに、布団がきちんとかかっていない」
と文句をいうので何度かけなおしても、
綿毛布を足して足までしっかりくるんでみても、
「これじゃあ乗せただけ。ちゃんとかかってない」
というのです。
しかも、
「いつだって、こっちの言うことなんか聞かないで、自分たちの都合で
適当にびゃあびゃあっとやるだけなんだから」
と不満をぶつけてきます。
むっとしました。
「ちゃんとかかっているじゃない。ほら」
思わず声を荒げると、妹が起きてきました。
やっぱり、足をくるみなおしたりして、
「ほら、これならいいでしょ?」というのに、ダメです。
「ちゃんとなってるのに、これ以上どうしてあげようもないよ」
と言っている妹を横で見ていたら、ふと思いました。
ひょっとして、これって八つ当たり?
トイレで失敗してしまって、母は
しまった、と思ったに違いありません。
やるせない気持ちが、
ひっくり返って出ているとしたら。
…気分を変えてあげるしかないな。
今回の骨折で一番つらかった最初のころ、
母のベッドサイドで
ずっと子守唄をうたっていたことがあります。
今日も歌おうかと思ったとき、
ソルフェジオ音叉の音が耳に入りました。
まるで子守唄みたい…
気持ちがふうっと緩みました。
気づいたとき、
母は眠りに落ちていました。
次に目が覚めたときにはご機嫌で、
トイレに連れていくと「ありがとう」を連発。
朝にはすっきりと起きて、
にこにこRIONへ出かけていきました。
それにしても。
トラブルが起こったのは、どちらも2時。
丑三つ時かぁ…
お化けが出るわけじゃないけれど、
なんだか妙に納得です。

わからなくなっていく恐怖 ― 2020/06/20 18:26
いろんなことが分からなくなっていくというのは、
どれほどの不安でしょうか。
時々、母の気持ちを想像してみます。
昨日も、可哀想なことがありました。
平日、
母は9時ごろから14時近くまで、
デイサービスRIONで
トレーニングしてもらってきます。
睡眠薬を飲まなかったので、
昨日は元気に参加できたようです。
前日とは全く様子が違ったと、
リオンさんがニコニコ報告してくれました。
そこまでは順調だったのですが。
ひと騒動があったのは、
帰ってきて小一時間たった頃でした。
私が、
早く母の部屋へいかなくちゃ、と思いながら
やりかけの仕事を片付けていると、
手を叩いて呼ぶ音がしました。
行ってみると。
「ここのことが、何もわからなくなった。
私、本当に馬鹿になってしまった…
どうしよう、怖い…」
母は、涙目になってプルプル震えています。
自分が今どこにいるのか、
わからなくて不安になったようです。
「大丈夫だよ…一緒にいるよ…
そうやって、ちゃんと話してくれられているから、
頭おかしくなんかないよ…」
手を握ったり背中をさすったりしていると、
しばらくして、だいぶ落ち着きました。
けれど。
「何か甘いものが食べたい」
と言いだしました。
不安になったとき
甘いものが欲しくなるのはわかります。
認知症によくないと言いますが、
そんなことも言っていられません。
でも。
持ってきたものをあっという間に平らげて、
いうのです。
「こんなの、すぐになくなった。
もっと、もっと、たくさん食べたい」
う~ん…。
言い方が、
なんかちょっとおかしいのです。
押しが強すぎて、
どこか、普通じゃない感じ。
認知症の方が、
食欲異常をおこして
ものすごく食べてしまったりなさることがある
という話はよく聞きます。
こんな感じなのかな…
不安で空いてしまった胸の穴を
食べ物で埋めようとしているような。
切ないね…
でも、食べるのは我慢しようね。
またまた、
ソルフェジオ音叉のCDが登場です。
不安な時にいいという音をかけてみました。
それが効いたのかどうかはわかりませんが、
案外すっと、
それ以上は言いつのらなくなりました。
部屋からパソコンを持ってきて
母の横で用事をし始めました。
「本が読みたい」というので
本棚から、母の大好きな
田辺聖子さんの本を持ってきたのですが、
古典の紹介本だったので
ちょっと難しかったようです。
ご愛用の「天眼鏡」こと虫メガネを片手に
「うーん。これは何と読むのかわからない」
などと言って苦労しています。
でも、
穏やかな時間が戻ってきました。
夫が夕飯を作ってくれている音がします。
妹も、もうすぐ帰ってくるでしょう。

えっ! そういう展開!? ― 2020/06/21 17:51
一昨日は一瞬、
修羅場を覚悟しました。
以前みた、
「ぼけますから、よろしくお願いします」
という映画でも、
最初にヘルパーさんがいらしたときに
かなりの抵抗があった様子が描かれていました。
お年寄りにとって、
「ひと様」のお世話になるのは、
よほど大変なことのようなのです。
一昨日の夕方は、
ヘルパーさんが来てくれて
2回目のシャワー浴でした。
1回目は担当者会議の時でしたから、
実質的には初めてのようなものです。
2時ごろ、RIONから帰ってきた母に、
「3時からヘルパーさんがいらして
シャワーを浴びさせてくれるからね」
というと、
「とんでもない! お風呂なんか一人で入るわよ!」
強い拒否の姿勢。
喉元まで出かかった、
そんなことできっこないでしょう!
という言葉を、ぐっと飲み込みます。
困った…
これは大変なことになるな…
そして3時。
ヘルパーさんが来ました。
ドアが開くと、
「お帰りぃ~♡」
ん?
なにか勘違いしている?
ヘルパーさんを、
妹だと思っている様子です。
それでも、
さすがに顔を見れば気づくだろう
と思ったのですが。
「疲れたでしょう。お帰り」
さすがヘルパーさん、
機転も利くし、演技派です。
「じゃあ、私と一緒にシャワーを浴びようよ♪」
なんて言ってくれて。
母は、
いそいそとシャワーを浴びました。
自分が終わると、
「あなた、頭も顔も、ちゃんとお洗い」
いつもの大阪弁で言っています。
母は大阪の出身なのです。
ヘルパーさんは、
「あ、ばれたかぁ。
お母さん先にちゃんとお洋服着ちゃって。
そしたら洗うよ」
と母に服を着させて部屋まで連れていき、
私が母にドライヤーをかけている間に着替えて、
タオルで頭をふきふき入ってきました。
「あ~いいお湯だった」
「ちゃんと入った?よかった」
母にっこり。
脱帽です。
それにしても…
本当に、そんなことを思い込むものでしょうか。
だって、ちっとも似ていないのです。
いぶかしがっている私をよそに、
「じゃあ、帰るね。また今度」
と言うヘルパーさんの手を握り、
母は
「あらぁ、さみしいねぇ」
なんて言っています。
一緒に住んでいる妹が、
どこかへ帰るはずなんかないのに。
夜、本物の妹が帰ってきて
「今日、シャワー浴びたんでしょ?」
というと、母は
「うん。昨日ね」
と澄ましていました。
今帰ってきたばかりの妹と
シャワーが浴びられるわけがないので
昨日のことにしたようです。
それでもやっぱり、
娘と一緒のお風呂が嬉しかったのでしょう。
そのあともずっとご機嫌でした。
認知症も、
時には粋なことをしてくれるものです。

最近のコメント