『人生 フルーツ』を観て2018/07/25 21:13

先月観たもう一本の映画は、『人生 フルーツ』です。

初めて知ったのは、劇場での一般上映が終わった頃。

まず、なにやら魅力的な老夫婦の写真に惹かれ、それから説明を読んで、絶対に観たい!と思いました。

以下は、公式HPの解説文の引用です。

 

「かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました――」

 

 

 実は私は、そのような「無機質な大規模団地」で幼い頃を過ごしていて、その感じが結構好きだったりもします。もっと現代風のマンションにも住んだ経験から、昔の公団は、建物こそ無機質ではあるものの、建物同士の間がゆったりと配置され、南側にかなり大きく庭のスペースが取ってあるなど、余裕を持った敷地の取り方には人間的な温かみを感じるのです。

こどもの想像力は、どんな所も冒険の場に作りかえます。住んでいたのは1階でしたので(とはいえかなりの高さがあり、親がよく許してくれたと思いますが)、ベランダの手すりは、馬の背中になったり山の崖になったり、嵐の海の、船のマストになったりしましたし、各号棟の庭にはそれぞれ個性があり、森にするにはちょっと木が足りない感じでしたが、基地ごっこはかろうじてできました。

でも、もしあそこが、山を崩して更地にし、そこにずらっと同じ向きで建物を並べるのではなく、元の山の形を感じさせるように建物が配置され、雑木林を風が通り抜けるような団地だったら……空想の世界はどんなにふくらみ、身近な自然とのふれあいは、私の中にどんな世界を育んだでしょうか。

 

 

何よりも驚き、感動したのは、あの頃、経済成長の時代の最中にあって、まさにその最先端にいながら、経済優先の考え方に異を唱えた人がいたことです。

そして、自分たち夫婦にできることを、ひっそりと地道に、50年以上も続けてこられたことにも。

それは、当時は「単なるへそ曲がり」とみなされる行為だったかもしれません。そしていま、時代はぐるっとめぐり、その「へそ曲がり」な行為に新たな光が当たっています。

更地だったお二人の家の敷地にはいま、小さな雑木林が育って、いろんな種類の果実も実れば、落ち葉で敷地内の畑の土を肥やしてもいます。それを見れば素晴らしさは誰にもわかりますが、樹々がまだ小さかったその途上は、さぞかし大変だったことでしょう。生命の営為には、時間がかかるのです。

 

視線を高く上げ、自分たちの目指す理想を指し示す夫と、

夫を足許から全力で支えることでその理想を現実にし、日々の暮らしの形にしていく妻。

お互いがお互いの尊厳を認め合い、支え合いながら生きてきたご夫婦の、その年月の豊かさ。

胸を打つのは、あらゆる行為の始めに愛があること。

誰かを責めるのではなく、ただこつこつと一つずつ、自分の手を使ってできることをしていくことの大切さ、そして積み重ねていく小さな行為の大きさです。

 

『みんなの学校』と同じように、この映画も、関西のテレビで放映されたドキュメンタリーを劇場用にしたものです。ひょっとして同じ方々が作っているのかと思ったら、こちらは東海テレビ、『みんなの学校』は関西テレビでした。

 

慌しい日々の中、バタバタと出かけていったのですが、

繰り返される「ゆっくり、こつこつ…」というナレーションを聞くうちにどんどん心が静まり、

そういう風に生きたいという思いが、また強くなって帰ってきました。

そして、「一本筋の通ったへそ曲がり」でいたいという、

昔から持っている思いも。



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