遊ウィーク ―1― ― 2018/07/15 12:42
書きたいこと満載の、つまり大変多忙な日々…
ようやく、一息ついたところです。
まずは、6月末(!)の一週間について。
24日の日曜日は、「自主学校 遊」の夏至祭りでした。
二組の、同じ日に生まれた双子の兄弟が生き別れになり、
エフェソス(天使館でオイリュトミーを学んだ人々には、なじみ深い名です)の町で出会った・・・という、
シェークスピアの
「間違いの喜劇(The Comedy of Errors)」と、
それを基に野村萬斎さんが狂言にした「間違いの狂言」
とを合体させた台本です。
ややこしやぁ~ ややこしやぁ~・・・
わたしがそなたで そなたがわたし
そも わたしとは なんじゃいな・・・と、
笑いながらもなにやら奥が深いのです。
最後の方にオイリュトミーのシーンもちょっぴりあり、
事前に何度か、稽古に通ったりもしました。
楽しかったぁ~!
というのが、観終わった感想です。
遊の子は本番に強い!という話なので、
どうなるのかな、というハラハラはとりあえず脇に置いて落ち着いて観ました。やっぱり心配はいらなかったです。
こどもたちは本当に生き生きのびのびと、
楽しそうに演じていました。
それぞれに沢山のセリフがあり、
しかもみんなのセリフをみんなが覚えている(!)
すごいです。
こうやって一つの舞台をみんなで作りあげることで、
深いところでの結束が強まったり、助け合う気持ちが育まれたりするのでしょう。
・・・なんていう固い話は抜きにして、
とにかく「いいなぁ!」と思いました。
その翌日は、途中入学の、1年生1名と6年生2名、
3名の生徒さんの入学式でした。
遊の校歌はいくつかあるようなのですが、どれも素敵な歌です。この日は第1校歌と第3校歌を。
上級生がウクレレを弾きながら歌う姿も堂に入っていて、
かなりの感動ものです。
一人一人に、これから毎日使う勉強机(もちろん木製で、手作りです)の贈呈があり、在校生や参加している先生方から、それぞれなにか一つずつ、新しい仲間にプレゼントの芸(?)をします。在校生からは手品、なぞなぞ、笛の演奏、詩の朗誦など…専科の先生方からは、英悟の詩の朗誦やグラスハープの演奏、三振の弾き語りなどもあり、
とても和やかで温かい、そして感動的な式でした。
その翌日はオイリュトミーの授業でした。
日曜日から休みなしなのに、子どもたちはいつものように楽しそうで元気いっぱい。
ちょっぴり、いつも以上にテンションが高めだったかもしれません。
この週は、気づくと毎日のように遊に通っていました。
水木は行かなかったのですが、
水曜日は、金曜日のために下見に行ってきました。
そして、金曜日。
そのお話は、「その2」で。
遊ウィーク―2-子どもたちを裏高尾でガイド! ― 2018/07/16 20:41
さて、「(個人的な)遊ウィークご報告」のNo.2、
昨日の続きです。
29日の金曜日に何があったかというと、
タイトルのとおり。
遊の子どもたちが、高尾へ遠足にやってきました。
遊では、第5週の金曜日は遠足に出かけることになっているそうで、担任のw先生から、
「29日は高尾へ行くのでガイドをよろしくお願いします。生物多様性ガイドのHPを見たら、『ガイドたち』の頁に写真入りで載っていましたよね」との依頼が!
「試験には落ちてますし、まだまだなんです!」
と言いましたが、「できる範囲で結構です」とのことで。
ガイド講座の講師に相談すると、
「それはいいね!実際にガイドするのが一番いい勉強になるよ。子どもたちを練習台にしちゃえ!」とのことで、
遠慮なくそうさせていただくことに。
子どもたち18名と付き添いの大人4名の、総勢22名で行ってきました。
日影沢林道の入り口で、高尾山の基本情報と注意事項を伝え、木についてのクイズを出し、
カツラやアブラチャンなどいくつかの木について、実際に見ながら説明して、
林道沿いの植物について、説明しながら歩き始めました。
渓流へ降りられるポイントが停まっていた車の陰になっていて、見過ごして通り過ぎてしまってあせりましたが、戻って見つけ、まあなんとか。
子どもたちと話しながら歩くと道の見え方がいつもとまったく違うというのは、やってみないとわからない、いい経験でした。
時間のほとんどは渓流での水遊びでした。
子どもたちは大喜び!
花の少ない時期で、普通なら残念なのですが、
(実際、スミレやツリフネソウなど、花のお話ができなくて残念ではありましたが)あまり花の名前が憶えられていない私にとってはそれが幸いし、
ときどき「これはなぁに?」と訊かれたものは、奇跡的に、答えられるものばかり。
いろんな状態の木を実際に見てもらい、
キャンプ場では年輪も見ながら、木がどういう風に育って行くのか説明できました。
上級生には最後にちょっぴり冒険もしてもらいましたし、
「帰りにね」と言ったクイズの答えを言うタイミングを逸したな、と思っていたら、子どもたちがちゃんと覚えていて、バスを待っているときに尋ねてくれたので、最初に投げかけたクイズの答えで締めることもできました。
生物の多様性が大事だよ、というお話も、
少しですができました。
下見してあったのに、見せたいものを通り過ぎてしまったりもしましたが、まあ、初めてにしてはわりとうまくいったかな、と思っています。
暑かったし、子どもたちに何かあったら困るので緊張しましたが、全員元気で、無事に帰ってこられて何より。
大忙しでしたが楽しかったです。
w先生からは、
「なかなかいい沢ですね。また他の季節によろしく!」
とのお言葉を頂戴しました。
大丈夫、まだまだ、山で子どもたちに話したいことはいろいろあります。
今度は、歩き慣れているはずの道で、見せたいものを見失うことのないように・・・花の名前も覚えなくちゃ!
追記:
いま、遊のブログを見てびっくり!
なんと、遊の、高尾遠足1の記事番号が、599だったというのです。高尾山は標高599メートル。山の麓にあるミュージアムの名前も599だったりします。すごい!
下駄箱を作りました♪ ― 2018/07/20 10:37
突然、ブログの内容が現在に跳びます。
(このあとまた、過去のことを書くつもりです)
梓です。下駄箱を作りました。
大工仕事には憧れがあって、押し入れに棚を作ったり、突っ張り棒でクローゼットもどきを作ったり、ソファの生地を張り替えるなど、さまざまな手直しや工夫くらいのことはしてきましたが、家具と呼んでもよさそうなものを作るのは、生まれて初めてです。
靴を置くスペースを増やしたかったのですが、市販のものは大きさも仕様も希望に合わず、しかも、たたきに置いている大きな鏡が行き場を失ってしまう…となれば、その鏡を扉にした下駄箱を作るしかないと、サイズや構造などを考えていました。重たい鏡の扉がスムーズに動く、なるべく収納力を持たせながら狭いスペースでも圧迫感が少なく、通気性のある下駄箱。もちろん、地震で倒れてこないように。
でも、忙しさに追いまくられてなかなか手が付けられず…
次の山が来るまでにちょっぴり空いた時間があったら、
もう我慢できない!
夕方、少し涼しくなるのを待って、近所のホームセンターに走りました。
木材を必要な長さに切ってくれるサービスがあるので、ありがたいです。必要な金具なども買える(どれが使えるものなのか、見極めるのにけっこう時間がかかりましたが)のですから、あとは組み立てるだけ。
隙間時間を使い、三日がかりで作りました。
こういう作業をすると、たいがい「あ、しまった!」とか、「アバウト過ぎたぁ」とかいうことが起こるのですが、今回は奇跡的にそれもなく。
(実は一度だけ、側板の木材を切ってもらうときに、キャスター分の寸法を足すべきところ、引いた寸法で頼みかけ、直前に気づいて事なきを得ました。危なかった!)
廃物利用をする予定だった棚板は強度が足りなくて買い足す羽目になりましたが、
出来上がりがきれいなのでそれもいいことにして。
とうとう完成です。
心配していた圧迫感もほとんどなく、逆にすっきりしている!扉だって、軽く開けられてきちんと閉まります。
靴を選ぶ時のストレスはなくなりましたし、
帰ってきて脱いだばかりの靴を、外へ見せずに仮置きする場所もできました。
ときどき、通りすがりに意味もなく扉を開けたり閉めたりして、ひたすらにやにやしています。
「みんなの学校」を観て ― 2018/07/23 21:48
先月は、素敵なドキュメンタリー映画を2本観ました。
どちらも、前から観たいと思っていたもので、
しかも、自主上映で申し込みからかなりの日数があり、
待ちに待った!という気分での鑑賞です。
一本目の「みんなの学校」は、大阪の「大空小学校」という公立の学校を一年間取材した作品で、テレビのドキュメンタリー番組で放映されたものの映画版です。
公立の学校でここまでできるのか!
という、衝撃の内容でした。
映画について書かれた本もあり、あらかじめ読んでいたのですが、やはり実際にみると感覚が違いました。
しかもこの日は、映画を観たあと、この大空小学校の初代校長をしていらした木村泰子さんのお話も聴ける、スペシャル企画でした。
映画のHPはこちらです。
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次々と登場する、
どこかで会ったことのあるようなこどもたち。
そのこどもたちと関わるおとなたちが、
正解のない中で手探りをし続けている姿に打たれました。
それが、本当だと思うのです。
おとなはすぐに、「私は正しい」という顔をしたがるし、
「こうでなければならない」を押し付けるし、
「お前はおかしい」と、こどものほうを断罪する。
ついついそうなってしまいがちなのです。
だって、自分は間違っているかもしれないと考えることにも、状況に合わせてどうするのがいいか探すことにも、
自分のやり方に思いやりが足りなかったと認めることにも、ものすごい力が要ります。
でも、それをやりつづけなければ。
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こうすればいい、なんていう便利な方法はありません。
いつも、来るのは変化球です。
それに対して、どう動くのがいいのか、わからないなりに必死で手探りをすることでしか、人間同士の関わり合いはできない。
人と人との関係である以上、そこには絶対の正解はないのでしょう。
でも、「これをやったらおしまいね」ということなら、
厳然としてある。
それにはまらないようにと足掻きながら、
でもやってしまったりするのです。
本当は、やり直しはきかないものなのかもしれません。
どんなに悔いても、取り返しがつかないこともあります。
この日の先生のお話も、そんな事例から始まりました。
でも、人間同士ですから、
やり直せることだってあるのです。
失敗してしまったとき、
やり直すチャンスが与えられるというのは、
なんと素晴らしいことでしょう。
人が間違う存在であること、
そのことをお互いに認め合い、常に意識して、
間違ったときには許しあい、やり直す。
そこにこそ、人が人らしく生きられる余地、生命的な場があると思うのです。
後半、大空小学校の道徳の時間と同じやり方で、最新の道徳の教科書を使った話し合いの時間がありました。
そこに書かれていること(と指導のポイント)がすごい内容でびっくり仰天したのですが、
単にそれに反発したり、そんな教科書を作ることを糾弾したりするのではなく、
それを使ってより人間的な方向へ考えを深めることができるという、得難い経験でした。
すごい先生方がいらっしゃるのだなぁ、とも思いましたが、
ダメダメな自分でも、「それでいいんだよ」と背中を押されたような気もしました。
これからもやっていく力を、いただいたように思います。
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長くなってしまいました。もう一本の映画、
「人生 フルーツ」については、また次に。
『人生 フルーツ』を観て ― 2018/07/25 21:13
先月観たもう一本の映画は、『人生 フルーツ』です。
初めて知ったのは、劇場での一般上映が終わった頃。
まず、なにやら魅力的な老夫婦の写真に惹かれ、それから説明を読んで、絶対に観たい!と思いました。
以下は、公式HPの解説文の引用です。
「かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました――」
実は私は、そのような「無機質な大規模団地」で幼い頃を過ごしていて、その感じが結構好きだったりもします。もっと現代風のマンションにも住んだ経験から、昔の公団は、建物こそ無機質ではあるものの、建物同士の間がゆったりと配置され、南側にかなり大きく庭のスペースが取ってあるなど、余裕を持った敷地の取り方には人間的な温かみを感じるのです。
こどもの想像力は、どんな所も冒険の場に作りかえます。住んでいたのは1階でしたので(とはいえかなりの高さがあり、親がよく許してくれたと思いますが)、ベランダの手すりは、馬の背中になったり山の崖になったり、嵐の海の、船のマストになったりしましたし、各号棟の庭にはそれぞれ個性があり、森にするにはちょっと木が足りない感じでしたが、基地ごっこはかろうじてできました。
でも、もしあそこが、山を崩して更地にし、そこにずらっと同じ向きで建物を並べるのではなく、元の山の形を感じさせるように建物が配置され、雑木林を風が通り抜けるような団地だったら……空想の世界はどんなにふくらみ、身近な自然とのふれあいは、私の中にどんな世界を育んだでしょうか。
何よりも驚き、感動したのは、あの頃、経済成長の時代の最中にあって、まさにその最先端にいながら、経済優先の考え方に異を唱えた人がいたことです。
そして、自分たち夫婦にできることを、ひっそりと地道に、50年以上も続けてこられたことにも。
それは、当時は「単なるへそ曲がり」とみなされる行為だったかもしれません。そしていま、時代はぐるっとめぐり、その「へそ曲がり」な行為に新たな光が当たっています。
更地だったお二人の家の敷地にはいま、小さな雑木林が育って、いろんな種類の果実も実れば、落ち葉で敷地内の畑の土を肥やしてもいます。それを見れば素晴らしさは誰にもわかりますが、樹々がまだ小さかったその途上は、さぞかし大変だったことでしょう。生命の営為には、時間がかかるのです。
視線を高く上げ、自分たちの目指す理想を指し示す夫と、
夫を足許から全力で支えることでその理想を現実にし、日々の暮らしの形にしていく妻。
お互いがお互いの尊厳を認め合い、支え合いながら生きてきたご夫婦の、その年月の豊かさ。
胸を打つのは、あらゆる行為の始めに愛があること。
誰かを責めるのではなく、ただこつこつと一つずつ、自分の手を使ってできることをしていくことの大切さ、そして積み重ねていく小さな行為の大きさです。
『みんなの学校』と同じように、この映画も、関西のテレビで放映されたドキュメンタリーを劇場用にしたものです。ひょっとして同じ方々が作っているのかと思ったら、こちらは東海テレビ、『みんなの学校』は関西テレビでした。
慌しい日々の中、バタバタと出かけていったのですが、
繰り返される「ゆっくり、こつこつ…」というナレーションを聞くうちにどんどん心が静まり、
そういう風に生きたいという思いが、また強くなって帰ってきました。
そして、「一本筋の通ったへそ曲がり」でいたいという、 昔から持っている思いも。
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