とんでも勘違い 1―のびをすると? ― 2018/10/04 20:25
子どもの頃に経験した、小さな、でもとんでもない勘違いのことを書こうとしたら、
変なことまで思いだしてしまいました。
こちらを先に書いてしまいます。
私は、小学生の時に「のび」をすることをやめました。
きっかけは、
ある全校集会の時に他所からいらした偉い先生が、
「さあみんな、思いっきりのびをしましょう!
のびをすると背が伸びるんだよ!」
とおっしゃったことです。
その時、小学生(低学年)だった私は思いました。
「のびをする時に伸ばすのは上半身だな。
それで背が伸びたら、きっと胴長になってしまうな!」
母から「あなたはお父さんに似て胴長ね」
と言われていたことが、気になっていたのです。
今思えばあまりにも馬鹿げているのですが、
本人は必死です。
普通ならいつの間にか忘れてしまうでしょうし、少し考えてみればわかりそうなものですが、
なにしろ、一度思いこむと問答無用で徹底する性格です。結局かなりの年齢まで、気持ちよくのびをすることを自分に禁じたまま成長しました。
どうしてものびがしたくなった時は、縦に伸びないように手を左右に伸ばす工夫をしたりまでして
(涙ぐましくも、あまりにも間抜けな努力!)。
ちょっと、
ちびまるこちゃんの世界みたいな気もしますが…
とんだ勘違いでした。
小さな思い違いではあるのですが、
この代償は、結構大きいのではないかと思っています。
やれやれです。

とんでも勘違い 2 ―哀愁のゾケサ ― 2018/10/06 19:34
子どものころの勘違いについて、
一つ思い出したら次々と出てきてしまいました。
聞き間違いというか、子どものころの言い間違いは、
誰にでもいろいろあるのではないかと思います。
たとえば私の例をあげると、
「看護婦さん」が「かんごくさん」
「替わりばんこ」が「替わりブランコ」(ブランコの順番だったのですね)
「用意スタート」が「用意スカート」(スカートをひるがえして走りだす感じですね)
などというのはいかにも聞き間違いですが、妹の、
「被害妄想」が「ひがみ妄想」なんていうのは、けっこう本質をついていてすごいと思います。
ところで、小学生が必ず耳にする歌に、「蛍の光」があります。歌詞が難しいので、子どもの頃は意味がわからずに変な聞き方をしていた方が多いのではないかと思うのですが、妹の間違いが傑作でした。
「…開けてぞ 今朝は別れ行く」のところを、
「…開けて ゾケサは別れ行く」と聞いて、「ゾケサ」という生き物を想像していた、というのです。
この話を聞いたとき、大笑いしたのですが、
ふと気づくと、私の中にもちゃっかり「ゾケサ」が住みついていました。
妹のゾケサは佐渡おけさの編み傘をかぶったみたいなものだったらしいのですが、
(妹は小学校の低学年を新潟で過ごしています)
私のゾケサは、ムーミンをちょっと細長くしたような
(ヘムレンさんが根暗になったみたいな)生き物です。
少し前、近所に大規模商業施設ができて、このごろほぼ毎日、夕方になると蛍の光が聞こえてきます。
そのたびに私の心には、
寂しそうに振り返りながら去って行く
哀愁を帯びた「ゾケサ」の姿が浮かぶのです。

とんでも勘違い3―子守唄にチャイコフスキー!? ― 2018/10/20 15:11
先日、カメラマンのS氏にお招きいただいて、
セシオン杉並のチャリティ音楽会に行ってきました。
そこで聴いたチャイコフスキーのピアノ三重奏曲が、
それはそれは素晴らしかったのです。
長いのでなかなか演奏されない曲なのだそうですが、
このまま、いつまでも終わらないでほしいと思ったほど。
帰り道に、ふと思い出しました。
「そういえば、私の子守唄はチャイコフスキーだったんだっけ?」
と、いうわけで、今日のテーマは子守唄です。
自分が子どもの頃に遭遇した勘違いのお話の三つめ。
ようやく、初めに書こうとしていた内容に到達しました。
子守唄って、「お母さんと赤ちゃんとで完全に満たされている世界」を象徴するもののような感じがします。
この世界が、その後の人生のいろんな場面で、しっかりと人を支えてくれる力になる。
大切なものなんですよね。
お母さんは、赤ちゃんにとっては世界の全部といっても過言ではないほど。こどもの方は全身全霊で、文字通り全幅の信頼を寄せているわけですが、お母さん自身の方では、まだまだ若くてあまり経験も積んでいないのですから、
案外、自信のない状態でいたりします。
初めてのこどもであれば、自分自身が生まれて初めての大きな経験だらけの中で、まっさらな命に関わるなんていう責任重大なことをやらなければならないわけです。
当然、その道の大家、専門家のお話に耳を傾け、どうすればいいのかを学ぼうとします。
私の母もそうでした。
そして、ある大家のお話に触れました。
その方がおっしゃった言葉は
「お母さんが音痴な子守唄なんかを聞かせるから、
こどもが音痴に育つのだ」。
自分は音痴だと思いこんでいる母は、
即座に子守唄を唄うことをやめました。
そして、夜、赤ちゃんを寝かしつける時に、
なんとクラシックの名曲を聴かせることにしたのです。
(このトホホなぶっ飛びぶり、他人とは思えません。
あ、母娘って他人ではないのか…)
私のために選んだのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番。
妹の時には、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が選ばれました。
自分のときのことはともかく、妹のときのことは、もう5歳だったのではっきりと覚えています。
瞬間で眠りにつける日はいいのですが、うっかりすると、音楽が流れている間中、早く眠らなければとあせりながら調べに乗って心だけが踊り出し
…とても寝付けませんでした。
小学校に上がってからは、ラフマニノフのピアノコンチェルトもよくかかっていました。これもまたとてもロマンティックで、めちゃくちゃ興奮します。
曲が終わってからも、目が冴えてしばらくは寝付けないのです。
そういえば、神経過敏だったなぁ…
身体も弱かったし…
こどものころから体がカチコチだったよなぁ…
などと、
「ひょっとしたら影響しているかもしれないこと」は
いろいろ思いつきますが、
確証はありません。
どの曲も、今も大好きなことだけが救いです。
と、いうわけで。
「赤ちゃんには、お母さんの子守唄が一番ですよ!」と、
声を大にして言いたいです。

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