「3.11」から一年と十日たって2012/03/21 20:02

先日、3月11日を迎えて、

これまでの一年間を振り返って何か書こうと思いました。

自分なりに、この一年をきちんと総括しておきたいと。

 

でも、いろんな思いが渦巻いてしまって、

とてもまとまりませんでした。

なんとかしようと試みましたが、

よろよろと紆余曲折だらけの長い文章をいくつか書いて、

結局みんな消しました。

 

 

先日、ETV特集で、「高村薫さん、震災後を語る」という番組を見ました。

高村薫さんと東北学の赤坂憲雄さんとの対談も良くて、

赤坂さんが復興会議のメンバーでいらっしゃると知り、

なんと心強いことだろうと思いました。

そして、番組の最後のほうで高村さんが語っていらした
言葉に、救われた思いがしました。

あの大きな災害が起こった後、

日本人はみんな、大きく変わってしまったはずだ。

いまそれが語られていないのは、

みんなまだ、混沌とした思いを
言葉にすることができないでいるのだ、と。

高村さんは、阪神大震災のあと、

それを言葉にして語ることができるまでに、
自分は10年かかった、

ともおっしゃっていました。

 

高村さんにしても赤坂さんにしても、

こういう大人がいてくれるのは、ありがたい、
と思いました。

心ある、見識もある、温かな気持ちと熱い思いを持ち、
静かに語る、おとな。

こういうあり方に出会うと、本当にほっとします。

 

 

そして。

一年がたって、とにかくひとつだけ、

いまの自分にもはっきりと言えることを

書いておくことにしました。

 

自分の命は、

なんとたくさんの命にささえられているのだろうか、

ということです。

 

私たちは動物を食べ、植物を食べます。

そればかりではありません。

 

たとえばいま、

福島第一原発の現場で、
さらなる重大な爆発が起こらないように

厳しい被曝をおしてつとめて下さっている方々が
いらっしゃらなければ、

すぐにでも、全てが崩壊してしまうのです。

 

 

それだけは、

全てのことの基盤として、

何があっても、心にとめておこう、と思っています。

 

 





コメント

_ 木村 ― 2012/03/23 08:04

この思いを言葉にして頂いて、ありがとうございます。

_ Az ― 2012/03/23 11:05

ありがとうございます

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