白髪交じりという自由 ― 2019/01/21 14:51
さて。先日アップした発表会の写真、どれが私かおわかりになったでしょうか?
小さいですが、最近お会いしている方々には見つけていただけたのではないかと…。
でも、いくら見てもわからない! という方もいらしたかもしれません。
実は私、去年の前半までとは髪の色がかなり変わっています……本来の色に戻っている、ということなのですが。
白髪染めをやめたのです。
いつかはやめたいと思いつつまだまだ先のことと考えていたのですが、去年の夏、あまりの暑さに(?)衝動的にやめてしまいました。
踏み切ったのは自分でも驚くほど突然でしたが、
どうも、それまでにいろいろと心境の変化があってのことのようです。
昨年出会った魅力的な方々のなかに、ヨーロッパのアンティーク手芸蒐集家がいらっしゃいました。
京都で生まれ育ち、デンマークへお嫁に行かれた方で、
八割がた白髪の混じった自然な髪色がとても素敵でした。あり方そのものに無理がなく、どこまでも自然でいながら洗練されていて、佇まいのすべてが美しく、皺までが輝いて見えました。
年月を経たからこその価値を湛えるアンティークの品々。
その数々を間近に見つつお話を伺いながら、
この方みたいに年を重ねたい! と思ったとき、
世界が違って見えてきたのです。
物が、ただ古びて魅力を失うのかアンティークとしての価値を持つようになるのか、その分かれ目は、
言葉にするのは難しいですが厳然としてあります。
ちょっと乱暴ですが、私なりに一言で言ってしまえば、
愛のエネルギーをどれほど内包しているか、
ということのように思います。
物の場合はもちろん、
そのエネルギーを注ぎこむのは人です。
熱意を持って作られた物、愛を持って扱われる物には、
不思議な命が宿るのです。
そして。
年を重ねてますます素敵になるのはやはり、
愛(いろんな種類の!)のエネルギーが大きい方のような気がします。
物の場合はどこまでも、「他人頼み」ならぬ「人頼み」であるしかないのですが、
人の場合、自分自身の中から無限に湧き上がるものであるところが素敵です。
髪を染めないことにして、
わかってきたことがいくつかあります。
一番大きかったのは、自分の未熟さでした。
物知らずだったり考えが足りなかったりするのを、
「若さゆえ」と見のがしていただけるのではないか…と、
どこかで思ってきたフシがあったのです。
外見の若さなどという不確かなものを、
隠れ蓑にしたつもりで甘えていたわけです。
また、自分の中にどこか、髪を染めることで
社会に馴染んでいられるような気持ちがあったらしい
というのも発見でした。
さまざまな思い込みの網にかかって、
勝手に不自由になっていたようです。
以前はかなり若く見られることが多かったのですが、
年齢にしては白髪が多いほうなので、
今はむしろ、実年齢以上に見えているかもしれません。
そのギャップの大きさには少しとまどいも覚えます。
それに、私にはどうも、いまだに学生気分が抜けていないところがあって、精神年齢からいうと
染めていたときのほうが合っていたのかもしれません。
でも、
そのねじれも含めて自分です。
年の割に白髪は多め。
気が若くて幼い。
はい、それでOK。
癖になってしまっている心の持ち方は案外手ごわくて、
より自然なはずなのに、
「新しい」自己イメージに馴染むのに、まだ時間がかかりそうです。
でも、一つのことについて遠慮なく自分をさらけだす覚悟ができたことで、
他の部分についても連動が起き始めていて、
軽くなった部分が確かにあります。
「どう見えてもいいや、これが私なんだから」
と開き直った分、いままでよりも自由度が増して、
遠慮なくいろんなことができそうな気がしています。
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