自主練・・・もどき ― 2017/09/04 17:40
先日、夫とともに裏高尾の日影沢林道を歩いてきました。
生物多様性ガイド養成講座でよく行くところです。
日影沢へは、高尾駅の北口からバスで行きます。一時間に1本か2本しかないのですが、利用者が多い時季には同じ時刻に出発するバスが3台あったりもする人気の路線です。
バスを降りると、日影沢林道の入り口へ向かう路上で、
すでにたくさんの花を見つけました。
飛んでいる鶴のようにすっと伸びる、真っ白な4枚の花弁(に見えるけれど本当はガクなのだそうです)を広げた、可愛い花が、センニンソウ。すぐ隣で、それよりちょっとにぎやかな感じに咲き誇っているのがボタンヅル、と、
持参した図鑑で見つけてわかりました。
山はいつも、数日ですっかり様子が変わります。
つい先日見た花がもう終わっていたり、新しく咲いた花があったり。
高尾山に特化したポケット図鑑を2冊持って行ったのですが、載っていないものもたくさんあって、わからないものだらけ。
帰ってから調べようと、とりあえず写真を撮ります。
いろんな草に引っかかって写真を撮りまくっている私を置いて、夫は先に立って歩きながら、ときどき目立つ花を指して「これは?」と訊きます。
思い出せたら得意満面で説明するのですが、
「確か教わったのに…えっと…」となることもしばしば。
そのほかに、なんだか知っているような気がするのに名前はわからない、というものもたくさんあります。
すぐに教えてもらえる講座の時が、どれほど恵まれているのかをしみじみ実感しました。
それでも、いくつかはわかったし、
夫が気づきもしないで通り過ぎようとする草花にどんなドラマがあるのか、
時には呼び止めて伝えることもできました。
嬉しかったのは、
名前を知っているかどうかにかかわらず、
花や草を見てその形や様子の特徴、つまり「その草らしさ」を感じ取り、愛でることが、
昔の自分よりずっとできるようになっていたことです。
講座が始まったばかりのころ、
あんなに自然が好きだと思って来たのに、実は何も見ていなかった自分に気づき、
いざ見ようとしても、ちっとも入ってこない感じがして、
自分には、自然を理解する思考回路がないのだと
悲しく思ったことがありました。
でも、今は違っています。
たとえ、同じように名前がわからない時でも、
なんとなく葉の特徴などに親しみを感じて、
本当はよく知っているんだけどなぁ!という気分になるのです。(それはそれで、とても悔しいのですが)
自分の変化を通して、
すぐそこに実際にある美しさ、貴さを感じ取るにも、それなりの感性が必要なのだ、ということがわかりました。
自分にその感性が開きさえすれば、
世界はものすごく美しく、神秘に満ちているのだ!
ということも。
何かを愛するということはきっと、その対象について、
感性を開いていようとし続けることなのでしょう。
それには、それなりの努力、
つまり時間とエネルギーが必要なのだ、
ということも、学んだような気がします。
たぶん、センニンソウ(間違っていたらお知らせ下さい)
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