愛車の乗りかえ2013/10/06 17:35

ずっと乗っていた自転車が、ついにだめになりました。

オイリュトミー公演「蝶たちのコロナ」の初日、

帰り道で違和感を覚え、
帰ってタイヤをみると見事なパンク。

満月の夜(中秋の名月!)でした。

 

国分寺へ越してきてすぐに買いもとめ、
それからほぼ丸
15年間、

暑い日も寒い日も、土砂降りの日も風の日も、

あちらこちらの稽古場へ連れて行ってくれた愛車です。

最近も、「蝶たちのコロナ」の稽古のため、
遠いところでは
立川駅のすぐ裏や、南武線矢川駅の向こうにある稽古場まで行っていました。

乗り始めた頃はまだあまりうまくなくて、
何度も転びましたし、

近道のために、
砂利敷きの階段をガタガタ押して降りたこともあります。

西元町に住んでいた頃は国分寺駅近くの自転車屋さんで、

いまは喜平橋の自転車屋さんで、

何度も修理してもらいながら、大切に…

じゃないですね、激しく乗ってきた相棒です。

タイヤがすっかり擦り減ってしまい、

去年くらいに、今度パンクをしたらもう乗り換え、と宣告を受けていました。

それからでも、ブレーキが壊れたりうるさい音がしたりで、2、3回修理しています。

 

すぐには買い変える暇もなく、

しばらくは娘や妹の自転車を借りてしのぎました。

いろいろ乗ってみたら、自転車によって、
乗っている時の気分がずいぶん違うのに驚きました。

ペダルの踏み込みやハンドルの効き具合で、

微妙な瞬間に「行ける」と思うか「待とう」と思うかが変わってきますし、

体勢が前のめりになるスポーツタイプでは、

ハンドルの反応がシャープなこともあって、

気分自体も前のめりというか、活動的になります。

姿勢が違えば気分も違う、ということは納得なのですが、

一見同じように「自転車に乗って」いても、

一人ひとりの体験は決して同じものではないし、

同じ場面で同じことができなくても、
あるいは判断が異なっても

乗り手の技量や性格のせいばかりではないのだな、と

ちょっと新鮮な驚きがありました。

 

そうして、
肉体を魂の乗っている自転車のようなものと考えると、

きっと同じようなことがあるのだろうな…

と、いろいろ考えてしまいました。

 

 

新車は、一言で言うと「軽い!」です。

変速はついていないのですが、
坂道の登りも楽になりました。

これからずっとお世話になるつもりですが、

今回も15年乗るとして、

そのとき自分が何歳になっているかを考えた時、
ちょっと愕然としました。

その歳でも自転車に乗っているだろうか・・・

 

でも、今の頻度で切れ目なく乗り続けていれば、きっと

相変わらずあちらこちらへ

くるくると走りまわっているのじゃないか
という気もしています。

 

 

 

            お別れした愛車です。