逝った人とともに歩む ― 2015/10/14 21:10
今年は私にとって、大きな別れの相次ぐ年になりました。
2月の末に、娘の幼稚園で出会った親友が逝き、
5月の末に、中学2年から高校3年までの多感な時期を支えていただいた恩師が逝かれ、
7月の末に、オイリュトミーの学校で教わり、その後のグループ活動でもずっとお世話になった谷合ひろみ先生が逝かれました。
谷合先生のことは、またあらためて書きたいと思います。
どの人も、私にとってとても大切な存在でしたので、
このところ、逝った人とともに歩んでいる感じが、強くしています。後ろを振り向き振り向き、一歩ずつゆっくり進んでいるようでもありますが、前ばかりを見て走っていたときには見えていなかった新しい景色が拓け、それは思いがけず豊穣で、世界が、より深さと彩を帯びてきたように感じています。
こんどの日曜日、18日に、2月に逝った大切な友人を偲んで、昔の仲間たちと一緒にオイリュトミーの会を行うことになっています。
オイリュトミーを愛し、ライアーを愉しんだ人でした。
オイリュトミーをするのは、
彼女とずっとともにオイリュトミーを学んできた「野のばら」のメンバーと、彼女たちを指導してきた宇佐美陽一さん、そして、夫と私です。
ピアノ、ライアー、フルートの演奏があり、演奏者もみな、故人を愛する人ばかり。
会場は、懐かしい橘幼稚園のホールです。
とても温かい会になりそうです。
橘幼稚園は、私たちがシュタイナーと出会い、オイリュトミーと出会った、原点ともいうべき場所です。
徒歩通園が条件の園に、どうしても入りたいと無理にお願いして、娘だけが、少し離れた地域から車で通うことになりました。初めての日、お迎えに行ってこどもを待ちながら少し緊張していた私に話しかけ、ぜひ一緒にシュタイナーサークルへ入ろうと誘ってくれたのが、彼女でした。
言ってみれば、私の今を作っているものへと、いざなってくれた人です。
彼女を失ったとき、
今までしたことのない泣き方を、いくつも体験しました。
そして、死の世界が急に、近しいものになりました。
死を近くに感じると、自分の中でものごとの重要性が変化して、それまで大切だと思っていたことが、どうでもよくなったりしました。
少し、捨て身になったかもしれません。
でも同時に、生きているいまを大切にしようと思いました。いろんなものを、以前よりよく「味わう」ようになったと思います。
18日、
橘幼稚園で出会った、
もう一人のとても大切な友人も、来てくれるようです。
そして、これからいろいろなことを一緒に始めようとしている新しい友人も、来てくれることになっています。
来し方と行く末とが一瞬出会う、交点のような日になりそうです。

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