ビッグ・イシュー国分寺北口販売員Kさんのこと ― 2014/12/05 16:37
このところ、
駅前再開発の工事でどんどん変わっている国分寺駅北口。
どうしてか、
おなじみの販売員さんの姿が見当たらないことが続いた。
工事のせいかとも思ったけれど、
それにしてもおかしいと気になりながら、
問い合わせるのにはちょっと勇気がいって、
今日になってやっと、
ビッグ・イシュー東京事務局に電話をしてみた。
まさかと思っていた、最悪の事態。
ずっとお世話になっていた販売員さんは、
亡くなっていた。
控えめで、
決して自分を押し出すことをしない方だった。
荷物の多いときに買おうとしたら、
「持つのが大変ではないですか?」
なんて、ちょっと心配になるくらい商売っ気がなくて…
着飾るわけではないし
いつもものすごく遠慮がちなのに、
ときどき、
あら、と思うくらい立ち姿がかっこよかった。
新号が出るまでの間、
買わずに前を通ることになるときは、
こちらが気まずくならないように
目をあわせないようさりげなく避けてくださって、
挨拶だけでもしたくて離れたところから視線を送ると
深々とお辞儀をしてくださった。
どんな来歴なのか、
ゆっくりうかがってみたかった。
さようならKさん
何もできなくてごめんなさい
出会えたことに感謝しています
これまで ありがとうございました

野菜の音―「三里塚に生きる」をみて ― 2014/12/15 12:30
「三里塚に生きる」という映画を観てきました。
成田空港の建設計画で
田畑や家を突然取られることになり、
「反対闘争」へと突入せざるを得なかった方々の、
過去の物語と、
そこから続く現在を追ったドキュメンタリーです。
いろんなことを思いました。
いろんな感情も渦巻きました。
やりきれなさ、憤り、悲しみ、恐れ、共感、
人間というものの弱さ、悲しさ、可笑しさ、したたかさと
その愛おしさ…
過去の一コマとして断片的な記憶だけがあり、
それすらほとんど忘れられているような出来事ですが、
実はこれは、まさに現在起こっていることと同じであり、
自民党の改憲案を読めば、
同じことが
いつ誰の身に起こっても不思議はないとわかる、
未来にもまた通じていくであろう
一つの現在進行中の例です。
(うっかりしていると、いつか私たちは、
あれは前の憲法下でのことだったから、
今を思えばまだマシだった…
と、思い知らされることになるのかもしれません)
闘争、不条理、非業の死、肉親や仲間を突然失う悲しみ…
…の記憶と記録、そして、
今も続く権力の横暴と、抗い続けている人たち…
描き出されているのは、
決して明るい世界ではありません。
でもなぜか、
もう一度観たい、と思ってしまう。
あの人たちにもう一度会いたい、と。
飛行機の爆音とともに耳に残っているのは、
里芋をもぐ音、葉物を収穫し、洗う音、
それらの、心地よい野菜の音たちです。
今日は、食事の支度をしながら、思わず
いま調理している野菜のたてる
えも言われず魅力的な音に
しみじみ耳を傾けたのでした。
渋谷のユーロスペースで、19日金曜日まで上映中です。

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