草木も眠る丑三つ時2020/06/19 17:26

火曜日に、母は退院してきました。

骨折した日から、ほぼ4か月がたっています。

 

夫は、親せきに取り込みがあって急遽帰省したので、

妹と三人、しみじみと昼食を食べました。

 

ほっとしたのもつかの間、

3時から、介護保険の「担当者会議」です。

ケアマネさん、デイサービスのリオンさん、

福祉用具の業者さんと、入浴サービスのヘルパーさん。

 

さまざまなプロの観点から、

可能な、よりよい支援を検討してくれます。

初めてヘルパーさんにシャワーも浴びさせてもらい、

終わったのはもう、6時近く。

 

問題はやっぱり、夜中でした。

夜は10時少し前にベッドへ入り、

すんなり眠りについたので安心したのは束の間のこと。

11時半ごろに最初のトイレ。

次は12時過ぎでその次が2時。

 

その、2時の時でした。

トイレから戻ると、

「脚が痛いから、服を着せてください」

訳のわからないことを繰り返し言います。

どうしたらいいかわからないし、ちっとも寝そうにないので、

病院からいただいてきた、

「眠れないとき」とかかれた頓服を飲んでもらいました。

  

お薬の効き目はばっちりでした。

ところが。

そのあと、5時半ごろに起きてトイレに行ったとき、

体は前かがみになったままだし、足がうまく動かないのです。

さんざん苦労しました。

  

そして、朝。

デイサービスRIONへ行かなくてはならないのに、

全く起きる気配がありません。

ぐ~すかぐ~すか

昨日の夜が恨めしいほどの眠りようです。

 

1時間遅れでなんとかRIONへは行けましたが、

あちらでも、ずっとウトウトしていたようです。

午後、帰ってきてからトイレに行くときにも、うまく足が動かず。

そのあと少し居眠りをして、やっと調子が出てきました。

 

お薬って怖いものだなぁ…

 

夜中の2時に飲んだので、

余計に遅い時間までずれ込んだのでしょうが、

「眠れないとき」のための頓服を、

夕食後にあらかじめ飲んでおくわけにもいきません。

もう、そのお薬は飲まないことにしました。

 

 

そして迎えた2晩め。

少し前に、ソルフェジオ周波数の音叉の音を集めたCDを買っていたので、

その中の、強力に眠くなるという音を一晩中かけてみました。

いかにも落ち着きそうな低い音。

単調な音叉の音が、ずっと続きます。

 

結局、

10時に寝てから7時過ぎに起きるまでに、

7回のトイレ。

そして、問題はやはり、2時に起こりました。

 

トイレで粗相があったので、

先にベッドへ戻ってもらってから掃除をしに行ったのですが、

終わって戻ってくると、母の様子が不穏です。

「寒いのに、布団がきちんとかかっていない」

と文句をいうので何度かけなおしても、

綿毛布を足して足までしっかりくるんでみても、

「これじゃあ乗せただけ。ちゃんとかかってない」

というのです。

 

しかも、

「いつだって、こっちの言うことなんか聞かないで、自分たちの都合で

適当にびゃあびゃあっとやるだけなんだから」

と不満をぶつけてきます。

 

むっとしました。

「ちゃんとかかっているじゃない。ほら」

 思わず声を荒げると、妹が起きてきました。

 やっぱり、足をくるみなおしたりして、

 「ほら、これならいいでしょ?」というのに、ダメです。

 「ちゃんとなってるのに、これ以上どうしてあげようもないよ」

 と言っている妹を横で見ていたら、ふと思いました。

 

ひょっとして、これって八つ当たり?

 

 トイレで失敗してしまって、母は

 しまった、と思ったに違いありません。

 やるせない気持ちが、

 ひっくり返って出ているとしたら。

 

 …気分を変えてあげるしかないな。

 

 

今回の骨折で一番つらかった最初のころ、

母のベッドサイドで

ずっと子守唄をうたっていたことがあります。

今日も歌おうかと思ったとき、

ソルフェジオ音叉の音が耳に入りました。

 

まるで子守唄みたい…

 

気持ちがふうっと緩みました。

 

気づいたとき、

母は眠りに落ちていました。

次に目が覚めたときにはご機嫌で、

トイレに連れていくと「ありがとう」を連発。

朝にはすっきりと起きて、

にこにこRIONへ出かけていきました。

 

それにしても。

トラブルが起こったのは、どちらも2時。

丑三つ時かぁ…

お化けが出るわけじゃないけれど、

なんだか妙に納得です。


 写真の花はトケイソウです。
 母が眠れなかった時のために、「ヴァレリアン(トケイソウ)&パッションフラワー」
 というチンキも用意していました。

奇跡はけっこうしょっちゅうある2020/06/15 12:34

病院へ一日早く迎えに行ったら、

母がスタスタ歩いていた

という夢を見ました。

 

クララが立った! …みたいな奇跡。

 

そこまではいかなくても、

母だって、

家に帰ってくれば

うんと元気になるはず。

 

私には確信があります。

 

なぜかというと…

 

こんなことがあったのです。

 

まだ大学生だったずっとずっと昔、

父方の祖父を

家で看取ったことがあります。

 

祖父は、入院した時に、

失禁してしまったことが引き金となって、

あっというまに、

頭が壊れてしまいました。

 

小さな医院を畳んで上京し、

老後を過ごしていた祖父には、

かつては働く場だった

「病院」というところで

一患者として扱われる日々、

そこでの失敗が、

耐えがたかったのでしょう。

 

人は自尊心の生き物なのです。

 

 

家で世話をすることになって、

家族で唯一運転のできた私が

車で迎えに行きました。

 

祖父の目を見たとき、

恐ろしくて

体が芯から震えました。

 

何もない

虚ろな空間がそこにあったのです。

 

3日前には普通だったのに…

 

大きな体を

みんなで担ぎ上げて車椅子に乗せ、

男の人に頼んで車に乗せてもらい…

 

病院から家までは、ほんの数分です。

 

家への角を曲がったとき、

声がしました。

 

「帰ってきましたなぁ~」

 

そして。

祖父は自分の足で歩いたのです。

 

門から数段の階段を上り、

4メートルほど歩いてもう一段上がり

ドアを入ると上がり框も登って。

 

奇跡はそこまでだったのかもしれません。

その後のことはあまり覚えていないのです。

 

でもその光景は、

目に焼き付いて忘れられません。

 

 

明日は母の退院です。

今度の奇跡は一瞬で起こるか、

それとも時間をかけてじわじわくるか。

 

楽しみにしています。






そこにいるだけで輝き出るもの2020/06/14 17:01

今朝8時ごろのことです。

 

ベランダで洗濯物を干していると、

チラチラと、なにか輝くようなものが目に入りました。

 

アゲハ蝶です。

 

前の家の、小さな花をたくさんつけている生け垣で、

一匹のアゲハ蝶が、

花から花へ、飛び移っては蜜を吸っています。

花が小さいのでとまることができず、

ずっと羽根をはばたかせ続けているのです。


撮っておきたいと思って急いでスマホを探し、

少し撮影しましたが

すぐにやめました。


輝きが消えてしまう…


でも、肉眼で見た最初の数秒の印象は、

くっきりと胸に残っています。


時間の長さじゃないんだな…


命の輝き、とでも言いたいような何かでした。

 

蝶にしてみれば、ごく普通のことでしょう。

可愛い花があり、蜜があって、

いつも通りの食事をしていたのでしょう。

 

もちろん、誰かが見ているなんて、思ってもいないでしょう。

別に、誰かのために努力しているわけでもないのです。

 

ただいつも通りに生きている、そのことが

こんなにも輝いているなんて。

 

 

ふと、

もうすぐ退院してくる母のことを思い出しました。

 

母はもう、

五分前にあったことも忘れてしまうのです。

危なくて、自分一人では歩けなくなってもいます。

 

そのことを、本人は引け目に感じているようです。

 

「情けない…」

と、よく言います。

「なんのお役にも立てなくて…」

というのも、お得意のフレーズです。

 

でも。

 

母が楽しそうだと、家族中が喜びます。

みんなが幸せになるのです。

 

自分が幸せでいるだけで、

周り中の人を幸せにできる…


 

ちぇっ、なんだかずるいや。

 

小さくため息をついて、

撮った映像を消しました。



胸の奥ではまだ、

あの蝶が輝いています。



             アゲハ蝶が蜜を吸っていた花です

模様替え完了!2020/06/11 14:29


夫と妹と三人で、

母の部屋の模様替えをしました。

 

手術したのが右脚なので、左側から寝たり起きたりする方が楽だということで

ベッドの向きを180度回転させ、

夜中のトイレ介助のために、介助者用のベッドを入れます。

そのため、仏壇をちょっとずらしたり、

タンスの位置を移動したりする必要もありました。

 

苦労したのが介助者用ベッドの運び込みです。

去年独立した、娘が使っていたベッドを入れようと思ったのですが、

どう工夫しても階段が通れないのです。

引っ越し屋さんはどうして通ったのでしょう? さすがプロです。

 

結局、娘のベッドは妹の部屋で使うことにして、

解体のできる妹のベッドを、母の部屋へ運び込んで組み立てました。

 

骨折したのが1月の末だったので、季節が全く違います。

衣替えも一緒にしました。

 

すっきり!

なんだか、空気の流れも違います。

ベッドを入れたのに、逆に広くなったように感じるのはなぜでしょう。

 

これでいよいよ、母を迎え入れることができます。

 

やっぱりワクワクします。

ここなら楽しくやれそうです。

 

                こんな感じになりました。


           ひと休み。じわじわと喜びがわいてきました。

最期まで家で暮らす、ということ2020/06/10 10:02

『病院で死ぬということ』という本が出たのは、もう30年も前のことだそうです。

映画にもなって、大好きな岸辺一徳さんが主演でした。

「病院で死ぬ」ことが当たり前だったころ。

介護保険制度ができる10年前のことです。

 

著者の山崎章郎(ふみお)先生は、小平市にあるホスピスに長くお勤めになった後、

2005年に在宅介護の拠点「ケアタウン小平」を作られました。

父がお世話になったのは、開所されてから二年ほどたったころのことです。

 

横浜で癌の闘病生活を続けていた父が

山崎先生にお世話になりたいというので、

小平に住むところを探しました。

取り急ぎ見つけたマンションは、玉川上水のすぐ近く。

南に大きな窓があって、

目の前に上水沿いの木々を見下ろし、空が大きく広がって、

ちょっと、ここはヨーロッパかな?と思ってしまいそうな眺め。

小さなころから空が飛びたかった私にとっては、最高のところでした。

当時私は国分寺に住んでいたので、

自転車で片道20分足らずで行き来できるのも利点でした。


手続きの日、帰ってゆく両親を国分寺駅で見送りました。

にこにこと手を振る姿を見ながら、

これからはここが二人の生活圏になるのだな、と

嬉しさに思わずじ~んとしたのを覚えています。

 

ところが。

翌々日、父は倒れました。

横浜の大きな病院に入院したので、

毎日のように横浜へ通う日々が始まりました。

肺炎を起こし、導尿の管からお通じが漏れ…

そのまま,最期までそこに居るしかなさそうな病態が続き、

ぎりぎりの選択を迫られました。

 

でも。

不思議な偶然が次々と重なり、

父は、医療用のタクシーで、点滴をしながら寝たまま小平までやってきました。

そしてそこで、最後の3か月を過ごしたのです。


 

もっとああすればよかった…と思うことは、いくつもあります。

人間の力には限りがあるのだから、

どんなにベストを尽くしても、後悔は付きものなのだとも思います。

 

でも在宅を選択したこと自体は、本当に良かったと思っています。

一緒に居ながら、家族が普通にしていられますし、

病院では、具合が悪くなった時に

看護師さんを待ちながらやきもきすることもしょっちゅうでしたが、

家なら、やり方は教わっているので、すぐに自分で対処できます。

対処できないときには連絡すれば看護師さんが駆けつけて下さるので、

安心感もありました。

 

父は、家族に囲まれて、旅立っていきました。

 


あれから13年。

そのころから認知症の症状を示していた母が、

骨折し、車椅子の必要な状態になって、

もうすぐリハビリ病院から退院してきます。

 

父の時とは違って、きっと長丁場になるでしょう。


どのような状態であれ、できる限り自然に、

家族の時を重ねていければいいのです。

 

お互いに、楽しい時間にしたいと思っています。


     裏高尾、日陰沢の渓流。できればいつか、母を連れていきたいです。