自由ということ―「板東 靜 海の見えるホールでFazioliを弾く」 ― 2018/05/30 21:15
昨晩は、すてきなコンサートに行ってきました。
会場は、豊洲駅からすぐ。
海が近いという利点を最大限に活かした作りで、
舞台の上手横と後ろが、一面窓になっています。
コンサートはちょうど日の入りの時刻頃から始まって、
音楽とともに、暮れてゆく外の様子も
楽しむことができるように配慮されていました。
第一部の前半、高野山の開山1200年記念イベントのために創られた、彼女のオリジナル曲が演奏されていたとき、
そこに繰り広げられる、深い山と自然、
すべてを包み込む清らかな気、修行の世界と、
目の前にある客席や舞台と、そして
窓の外のずっと向こうに、
海の近くを散歩する
人や自転車のシルエットが小さく見えて、
都会の何気ない日常と、舞台、自然、精神的な世界が
自分の中で一つに溶けあいました。
稽古をしたりして精進することと、舞台と、
いろんなことのある日常の生活と、
そのすべてがあって、私の世界が成り立っている。
どれかがどれかを邪魔していたり圧迫していたりするのではなく、丸ごと全部で愛しいものなのだと、
音と光を通して全身で感じられたのが幸せでした。
すっかり暮れてしまうと、
先ほどの散歩道よりさらにずっと向こうに
ちょうどいい距離感で
レインボーブリッジをはじめとする夜景が
煌めいて見えます。
思春期を過ごした横浜にちょっと似ているような気もして、来し方行く末を、思うともなしに思っているような、
心地よい時間を過ごしました。
「次世代型マルチリンガル音楽家 来地球記念ソロコンサート」
という、初めて見たときには一瞬驚いたサブタイトルは、
まさに!という感じ。
関西弁で、インドでの経験談などを交えながら繰り広げられるのは、
さまざまなハイテク機器を駆使し、
波紋のように音の波動をひろげる、人肌の温もりのある楽器と、響きの素晴らしいピアノを使って
日本語と英語と、私の知らない(アジアっぽい?)言語の、時代も国もさまざまな、歌や音楽たち。
その世界に浸りながら思っていたのは、
「自由」ということでした。
枠にとらわれず、いつも幼子のような感性でそこにいる
靜さんを通して生み出された音楽の世界は、
自由でありたい、と、
こだわりながらだんだん不自由になっていっていた私を
解き放ってくれました。
そしてもう一つ、届いたメッセージは、
数年前に座右の銘にしていたこともある言葉
Be Yourself.
誕生日の直前、
幸せな満月の夜を過ごして、
また、新しい自分になって歩きだせそうです。

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