大倉摩矢子×鯨井謙太郒 対話とパフォーマンス(WWFes 2012 Part2)を観て2012/07/27 17:46

昨夜、大倉摩矢子さんと鯨井謙太郒君とによる

舞踏とオイリュトミーの

エクスペリメンタル・パフォーマンスに行ってきました。

 

大倉さんが踊ると、

舞台に、見たこともないような空間が現れます。

それで、初めて大倉さんの踊りを観たときから、

いったいどういうことが行われているのか、
知りたいと思っていました。

普段は意識できずにいる空間を現出させる、と言えば

オイリュトミーもまさにそうなので、

きっと、何か共通のものが見つかるはず、

と思いながら出かけて行きました。

 

でも、始まってすぐ、

最初に、何の説明もなく二人が動き始めたのを観たとき、

その明らかな違いにはっとしました。

世界に関わるときのベクトルが違う、
とでも言えばいいでしょうか、

踊り手が居ようとする場が違うのです。

 

そのあと、説明を聞いて納得しました。

大倉さんは、踊りの中で物と出合うとき、

皮膚感覚を大切に、
そこを入り口として関わっていくのだそうです。

すると、大倉さんの入り込んだ空間が、

引き寄せられるようにして舞台上に現れます。

一方オイリュトミーは、

物を成り立たせている力そのものをその場に流すことで、

空間を作り出します。

どちらも、

「自己表現」では全くなく、

個的な自我の入り込まない世界である、という点では同じなのですが、

空間を生み出す方法が、

まっすぐ能動的なオイリュトミーに対して、

大倉さんの場合は、
ものすごく能動的な作業に支えられての受動

とでも言えるもののように感じました。

 

オイリュトミーでは普通、

即興的には踊りません。

けれど鯨井君の「ダンス」は、

どんなに即興的に動こうと、
いわゆるLautやToneをとっていなかろうと、

抜きがたくオイリュトミーの動きであると感じました。

観客の、「鯨井さんの踊りは切っているように感じた」
という言葉に対して、

大倉さんが、

一緒に踊っていると、決して切るだけではおわらなくて、

切るたびに新しい世界が生まれているのを感じる、

それは、他のダンサーとは全く違う彼の個性だ

と語っていらしたのも、
おそらくそういうことだったと思います。

 

最後に、音楽の流れる中、即興で

二人で一緒に踊ってくれたのですが、

どんなに、触れあいそうなほど近くで踊っていても、

まるで、

地球から見ると、
年に一度出会うように見える織姫と彦星が、

実際は何億光年も離れているのと同じように、

お互いが全く異なる位相にいるので決して出会えない二人の、

切ないロマンスを見ているようでした。

 

滅多に見られないものを見せてもらうことができました。

誠実で、真摯な、

本当に素晴らしい二人のダンサーによる、
この実験的な試みで、

貴重な種が蒔かれた夜でした。





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