好きです、オイリュトミー。 ― 2010/04/15 17:08
オイリュトミーについて、夢中になって話しているうちに気がついたらあたりが白み始めていた、ということはしょっちゅうありました。相棒とはもちろんのことですが、ペルセパッサにいた頃も、仲間と話しているうちに盛り上がって、夜が明けるまで話し込んだことも何度かありました。
オイリュトミーに心底惚れ込んだ者同士、それぞれの思いや、いま探っていることについて話しだすと、時間はいくらあっても足りないくらいなのです。
ところが、気がつくと、このところしばらく、そういうことがなくなっていました。たくさん話してはいるのです。でも、時間は忘れませんでした。
他に話すことが増えてしまったせいでしょうか、翌日、起きられないと困ることが多くなったせいでしょうか、年齢的に、夜明かしがきつくなってきたせいでしょうか。。。
もしかしたら、いつの間にか、オイリュトミーへの関わり方がちょっぴり変わってしまっていたのかもしれません。
というのは、昨日、ふと気づいたからです。私は、理屈抜きに、とにかくオイリュトミーが好きでたまらないんだ、ということに。そうして、それを思い出した途端に、自分を縛っていた何かが剥がれ落ちて、どこかがとっても自由になりました。
思えば、社会的にオイリュトミーを説明しなければならなくなったときに、ただ「とにかくいいんです!」と言ってもわかってはいただけないだろうというので、身体にいいとか、心身が調和するとか、根源的に人間を形作っている力の流れを扱う、すごいものであるとか、いろいろな事を言いました。そうして、知らないうちに、それらの説明に自分が縛られていたのです。
もちろん、すべて本当のことです。でも、それだけじゃない。そんな言葉だけで説明がつくようなものではないんです。それは、大好きな恋人について、この人はやさしい、とか、カッコいい、とか、いろんなプレゼントをくれる、なんて言ってみても、ちっともその人の本質を説明することにはならないのと同じです。
もともと、説明は苦手です。できれば、ご自分で感じて、ご自分で見つけて下さい、と言ってしまいたいのです。おそらく、本当のところは人それぞれなのでしょうから。
オイリュトミーは、はかりしれないほど素晴らしいものです。
その、オイリュトミーの魅力を心から信頼して、ワークショップでも、本質を味わっていただけるように、余計なものの付け加わらないところを、素直に
まっすぐお届けしたい、と思いました。
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